無性に行きたくなるお店があります。ああ、しばらく行ってないなぁ…。行きたいな~と思うお店です。そんなお店の一つが『cafe cocoro』さんです。玻璃真人の本での募金活動の時に本当にお世話になったお店ですが、それだけではなくてその空間に座って、ほっとする食事やデザートをいただいて本を読むひと時が好きなんです。
今日久しぶりにうかがったら「『リ・メンバー』の本を取り寄せました。もうすぐ読み終わります~」と、お店に足を踏み入れるなりママさんの声。以前にこのブログでご紹介させていただいた私、宇受女のバイブルです。もう一冊の『宇宙の法則』も取り寄せていただいたそうです。
単純に嬉しいですね。自分がイイ!と思った本を読んでくれるということは。
ココロのママさんならその本の中にとても多くのことを感じていただけるのではないかとワクワクしてしまいます。
一冊の本から拾い上げるものは人さまざま。その内容もスーッと入ること、サーッと流れていくことと色々です。でもきっとどこかに残っているんでしょうね。記憶だったり、心の中だったり。そして時々何かの拍子に顔をのぞかせては、あぁ、そういえばとかあ、そっか~という気付きを与えてくれたり。
本から得るものがすべてではないし、拾い上げるものすべてが良いものとは限りません。自分の心の琴線に触れるものなのか、それともヤバイものなのか?それを選択するのは自分の感性しかありません。その一冊が自分の薬にも毒にもなりえるのですから。そう考えると本を読むというのもある意味真剣勝負だな~と思う読書の秋の夜でした。
写真はスポーツの秋の運動会。フェニックスのような雲が応援してくれてましたよ。
毎年この時期に思うことですが、秋の彼岸の頃になると必ず彼岸花が里山のあちらこちらに姿を現し、畦を土手を庭を赤く彩ります。
それまでは何の気配も見せないのに、先週辺りからシュンと伸びた黄緑の茎が目につくようになり、お彼岸に入ったと同時に開花します。
花が咲き始めるまで、そこに彼岸花があったことすら忘れているのに、律儀にお彼岸に入るのを待って咲き始めます。
当たり前といえば当たり前なんですが、とても不思議に思えるのです。少なくともこの辺りでは大きくずれることなく今頃満開を迎えます。
なんだかそんな何気ないことが何だかありがたく思える今日は秋分。
と、約一ヶ月ぶりの新着情報は秋分の日のつぶやきでした。
9月15日に小説家になろうのサイトにアップしていた「玻璃真人新記 真言の…第一部覚醒」の最終章をアップし終えました。
本で読んでいただいた方も良かったらまたのぞいてみてください。読まれていない方は一度読んでいただければ嬉しいです。
第二部は遅々たる筆(キーボード?)ではありますが、書き進めています。
小説家になろうの玻璃真人のサイトです。
http://ncode.syosetu.com/n5893u/
写真は秋分の日 ヒビコレ裏庭の彼岸花
「マトリックス」という映画を観たことがあります。自分たちが今生きている現実だと思い込んでいる世界が、実は自分のだったか、コンピュータによるものだったかずいぶん前に観たのでうろ覚えなのですが、仮想現実、夢のようなものだということに気づいてしまう主人公の話でした。
とても深いテーマを語っていると思うのですが、映像がハードだったのが個人的には残念でした。
もしこの世界が自分の見ている夢だとしたら?夢でなくても私たちの思ったことや願ったことがこの世界に反映されているとしたら?そんな考え方もあると教えてくれるのが、グレッグ・ブレイデン著の『宇宙のマニュアル』(ソフトバンククリエイティブ株式会社)とスティーブ・ロウザー&ザ・グループの『リ・メンバー』(ナチュラルスピリット)の二冊の本です。私は何度も読み返しています。
想いと感情がつながった時、この世界に物事が具現化するという考え。これを受け入れるためには、今の自分の状況は自分が生み出したものであり、これからの自分の未来は今の自分が創り出していくのだということを認める強さが必要なのだと思います。
私自身がそのことをすぐ忘れてしまい、ふと思い出して書いたのが5月8日にアップしたハリマビトノウタ『宇宙の約束』でした。その続編のような『未来へのオモイ』を今日アップしました。
写真は美里町の里山風景です。
終戦記念日の今日、津市の護国神社を参拝してきました。
母方の祖父の御霊もこの神社に祀っていただいているので、毎年夏になると実家に、万灯御霊祭りだったでしょうか、そんな案内が届いていたのを覚えています。
もちろん会ったこともない祖父です。仏壇に飾られた一枚の遺影だけが、その存在を教えてくれていました。
南島で終戦間際に亡くなったという話は聞いていましたが、仏壇やお墓参りの時に手を合わせるだけの遠い存在でした。
三年ほど前に鹿児島の知覧から飛び立って行った若者たちの、特攻隊の映画を観ました。子どもの頃からそれまでも色々な戦争に関する映画やドラマは観てきていましたが、それは歴史の一部のような感覚で観ていたのだと思います。父母は戦争体験がり、私自身が生まれた時もまだ戦後十数年しかたっていなかったのですが、それでもそれはすでに歴史の教科書の世界だったような気がします。
魂というものを考えるようになってから観たその特攻隊の映画が、かつての戦争は単なる過去の歴史ではなく、今を生きる私たちにつながる出来事なのだと気付かせてくれました。その舞台であった知覧にお参りしたくて、八月初旬に鹿児島に行ってきました。
先日初めて祖父の亡くなった島の名前を母に聞きました。知らない名前の島でしたが、今日神社の碑の中にその島の名前と場所を見つけました。ああ、ここなんだ…って思った時、自分に祖父がいたんだなと心で感じることができました。
これまで戦争については、教科書で学んだことをそのまま事実だと鵜呑みにしていましたが、私が学んできたことは勝者が描いた歴史なのかもしれないと最近思っています。日本にも対戦国にも様々な面があり、良い面も悪い面もあったでしょうから、色々な角度から過去を紐解いていかなければならないと思うこの頃です。
前回のブログアップが7月13日。早くもひと月がたとうとしています。草刈マシーンにノコギリ、剪定バサミとツールをとっかえひっかえ、ひたすら草木と向き合い三週間が過ぎ…。
木々が生い茂るジャングルと腐葉土の地と化した庭もそれなりにすっきり。お化け屋敷状態の敷地の草も刈り終わり、風通しもよくなりました。
毎日人間はこんなに汗をかくものなのか~という日々。そして夜はもちろん冷えたビール。しんどかったけれど、毎日変化していくのを見るのは楽しみでした。
庭いじりの初めに、息子と作ったヘチマ棚に植物のツルがグングン伸びて、今朝一つ目の朝顔の花が咲きました。嬉しくなって思わずパチリ。
ということで、久しぶりにブログ復帰いたしました。
玻璃真人の里、美里に移り住んで早7年目です。気がつけば敷地の周りが草だらけ。草と笹とツタと、木々の枝と…。日々南国のジャングル化しております。
ああ、刈らねば、刈らねば…と横目で見て通り過ぎる日々でした。
時折鎌を手にしては、申し訳程度にチョンチョンと刈ってみるものの、大勢に変化なし。
「やっぱり草刈機だよな~。草刈機でなきゃな~」そう思いつつも、草刈機を手にすることはありませんでした。二年前にムシの害が出て、ああ思い切って刈るぞ~と、草刈機を購入しました。そしてその夏、家長が裏の草を一度刈ってくれました。が、以来2年間出番も無く、小屋に眠っておりました。
案の定、この夏またムシの害が発生。いよいよなんとかしなくてはと、草刈マシーンに初挑戦。最初は使い勝手が分からなかったものの、知人に教えてもらってなんとか使えるようになりました。
里山では毎日のようにどこかで、草刈機のウィーンという音が響いています。夏には早朝から。
初めて聞いた頃は、その音がまるで草の悲鳴のようにも感じました。刈られて痛いんだろうな~と。それに刈ってもまたすぐ伸びるんだからキリが無い作業だなあとも。
でも最近この草刈という作業は、草を根こそぎ無くしてしまうのではなく、草を散髪しているのかなと思うようになりました。どこもかしこも丸坊主になってしまったら、どんな虫も棲めなくなり、それを餌とする鳥も棲めなくなってしまいますから。
ということで、以前は「草が痛そうで…」なんて考えていましたが、今は「散髪してすっきりしよ~か」と声をかけて草刈機を手に…。
結構はまります。草刈マシーン。
写真は木曽三川公園のフラワーパーク江南。動物会議?です。
以前から考えたことはありました。
本を出す時にも、もう一つの選択肢として、PC、携帯でのオンライン小説というのもありました…。でも、その時点での新美 宇受女は、出版物という形のあるものにしたくて、いわゆる紙の書籍を作りました。
その本は今も、ご縁をいただいた方々に手渡しさせていただいています。書籍という形にしたからできたことです。でも、第一部を出してからどれだけの人に『玻璃真人の世界』を伝えらられただろうかと思うと、ノンキな私も次の策を考えねばと…。
そこで出来ることの一つとして、オンライン小説に第一部の投稿を始めました。分刻みで新しい作品がどんどん投稿されていくので、どこかの誰かが玻璃真人の作品にリンクすることは、大げさに言えば奇跡に近いかもしれません。でもその一人が何かを感じてくれるなら、それは本当の奇跡。
正直なところ、三年前の私は、オンラインに投稿しても、読まれなかったら、評価してもらえなかったら…というつまらないプライドがあったんでしょうね。これって成長したのでしょうか。いや、単に図太くなっただけ?(笑)
投稿数十五万の作品に埋もれている『玻璃真人の水晶』。どんな人が探し出してくださるのでしょうか…。すでに読んでいただいた方も、よろしければアクセスしてみてくださいませ。時の流れと共に、感じるものも変わっているかもしれません。
『小説家になろう』http://syosetu.com/『はりまびと』で検索できます。
写真は木曽三川公園のネット遊具。これがなかなか面白い!
庭の敷石の上に白い花が一つ、二つ、三つ。どこから?と周囲を見渡せば、頭上に花を咲かせたシャガの樹が…。
毎年咲いているのに、樹が目線を越える高さに成長してからは、花が落ちるまでその存在を忘れてしまっています。
「あ、そうだ。そうだ。あったんだな~」
自分の周囲のこんな身近なことさえ、ちゃんと見ていないんだなと思いました。「上を向~いて♪」どころか下も、後ろも見ていないんですよね。自分の目先の目線のものを見て、全てを見ているような気になっている…。気をつけなくちゃと思いました。
物事は多面だということを常に頭においておくことは、大切なこと。人や物、事象への感じ方や対応も変わるし、自分自身に対する捉え方さえ変わる可能性があります。
写真家の中里和人さんが、写真のセミナーで、「鳥の目、猫の目で観て撮ってみたら」と、子どもたちにおっしゃっていましたが、俯瞰して観ると、見えていなかったものが見えてきたり、こうだと思い込んでいたものが、全く違うを側面を持っていたりすると思います。昔からよく「広い視野を持て」と言いますが、深い意味があったんですね。
鳥の目を持つために?、あと20cmほど背があったらな。竹馬にでも乗ってみますか。それともいっそ羽根でもはやしてみましょうか(笑)
前回のブログで登場した「奇跡のリンゴ」の本。青森のリンゴ農家・木村秋則さんのことが書かれた本で、三年ほど前、本屋さんに山積みになっていました。ベストセラー本だったので、ご存知の方も多いと思います。
その頃、気になって何度か手に取りながらも、買わずじまいでした。そして今回、cafe cocoroさんでバッタリと出会ったという…。「ニーチェの言葉」の本とパターンが似ています。『読めってゆーとるやろが~!』って、内なる声やら憑神さんやらが、しつこく言っているのでしょうか(笑)
農薬も肥料も使わないで、リンゴを栽培することに挑戦した日々を記録したものですが、一冊の中にとても深い叡智と気付きがたくさん盛り込まれています。機会があれば、是非ご一読いただきたい本です。cocoroさんに早くお返しして、次の誰かに読んでもらわないとね!
著者がそのリンゴを食べた感想の中で、こんな言葉を述べていました。『あるいはこの世に生きる喜びの、エッセンスとでも言うべき何かが、そのリンゴには充満していた…』ああ、食べてみたい…。実はcocoroさんのスープをいただく時に、似たようなことを感じています。ベーグルサンドを食べ、緑のスープを口にすると、あ~細胞が喜んでいる~って。素材とか調理とかを超えたエッセンスが何かあるのでしょうね。言葉には上手く置き換えられませんが。
あってくれて良かったと、心から思うお店です。
写真は、裏庭の「Hibicore 菜園」。先月近所のおばあさんにかぼちゃの苗をいただいたので、植えたことから家庭菜園スタート。雑草のようにグングン伸びているのは菊芋。自然農法ならぬ放置農法です。