其の1 旅の行き先は直観まかせ
最近定期的に受けているセッションの中で『壱岐島』『月讀』というキーワードが出てきた。セッション中にはたくさんの単語が出てくるので、そのキーワードの全てが今すぐどうこうということではないが、何かあるかもしれないので心に留めておいてくださいとのことだった。
どちらのワードも自分にとって特にピントくるものではなかったが、ほかの単語とともにその二つも書き留めておいた。
話は後先するのだがセッションを受ける少し前に北九州への旅行プランが浮上していた。パートナーが熊本県の水俣市に取材に行くので、便乗することを目論んでいたのだ。熊本で行ってみたいと思ったのは巨石群。とりあえずそこは押さえたいと思っていた。だがしばらくして『志賀島』というのが気になってきた。こちらは『海神社』が行きたいポイントだった。福岡市から海上ロードで渡れるので実現度は高そうだった。
そしてさらに九州の地図を見ていると目についたのが壱岐島。博多港から一時間少しで島に渡れるらしい…となると、これもまた実現度が高い。セッションに壱岐島という単語が出てきていたのを思い出したので、壱岐島がどんなところなのかを調べてみることにした。すると『月讀神社』という文字を発見。島内の神社紹介の中でも一押しの感じで紹介されていた。ここで冒頭のキーワードに戻る。『壱岐島』と『月讀』特に関連性が無いように見えるこの二つは実はこういう形でセットになっていたのだ。これはもう行くしかない!今回のうずめ旅のミッションは壱岐島に行くということになった。一番が壱岐島、二番が志賀島そして三番が巨石群に決定。最初の構想とは異なるが、直観旅とはこんなものだ(笑)
玻璃真人の読者の皆さんへ
作家は作品でメッセージを伝えるのが本来の形ですが、今感じていることや伝えたいことを小説として書き起こし本となるまでには長い時間がかかります。それで今回このメッセージを書かせていただきました。
私、松原由貴子本人は肝っ玉が小さいので、ややもすると否が応でも飛び込んでくる日々の情報に暗い気分になったりビビったりしています。ただもう一人の作家としての新美宇受女は、あるいは新美宇受女を通して何かを伝えようとしている存在(それは作品の登場人物たちであるかもしれないしもっと別の何かかもしれません)が、様々なことを語りかけてきます。
長田ならこう言うでしょう。『情報に振り回されるな。情報を得てそれに対処していくことは必要だが、それに感情を奪われるな』と。
今の時代情報が無い状態はとても生き辛いので知る必要はありますが、その内容に私が恐怖や怒りを感じていると、冷静であれと諭されるように感じます。情報も現象も確かに目の前にあるものだけれど、それをどう捉えてどう対処するかは私たち一人ひとりが選択するものです。怒りや恐れではなく愛と慈悲の心で立ち向かえと小説に書くのは簡単ですが、それを現実の世界で行うのは正直難しいと思います。ただどんな小さな形でもそれが実現できたなら、玻璃真人の世界はいつか現実のものとなるのだと信じたいと思います。
ミズナラの樹は分離について語りましたが、私たちの世界は他の生物との分離だけではなく、人間同士の分離の加速度も早くなってしまっているように感じます。だからこそ繋がりやコミュニティの絆を深くすることはこれまで以上に大切かもしれません。
そしてどうやら私たちはとても大きな変革期を選んで地球に生まれてきたようですね。魂レベルでは分かっているのかもしれませんが、人間レベル的にはただもう大変な時代!という感じです。もしこの時代を選んで生まれてきたのなら、いわゆるミッションがあるのかもしれません。それに気づけて生まれてくる前に決めてきた今世での計画を実行に移せればとても素晴らしいと思います。でも武士郎なら大笑いしながらこう言うでしょう。『楽しめ!』と。あれもこれも、あっちもこっちも、なんやかんやと色々ありますが、『今、ここ』で自分の魂の楽しい方へ嬉しい方へと歩み続けるのが新美宇受女流ですと結びが軽いものとなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございます。
2021年5月23日
『10月10日に出版します』宣言をしていた玻璃真人の本が完成しました。表紙デザインも新たに。思い切って『真言の…』をなくして本のタイトルを『玻璃真人新記』にしました。上下巻だった第一部をギュッとまとめて一冊に。分厚いですが、初版の<下>の厚さとほぼ同じです。
今回デザインから製本までお願いしたのは第二部でお世話になった『一期堂』info@hashimoto-dr.comさん。ギリギリ三日前まで、私の校正漏れをチェクした上で今日に間に合わせて仕上げてくださいました。一冊ずつていねいに手作りで製本していただくので、ご注文をいただいてからお時間がかかりますのでご容赦ください。フェイスブックコメントなどで既にご予約いただいている方には、出来上がり次第ご連絡させていただきます。価格は第一部が2,500円、第三部が2,000円で税別となります。第一部は初版二冊分の内容なので、お得感のある価格です。ご購入方法につきましては次の投稿でご案内させていただきますので、よろしくお願いします。取り急ぎ20201010出版間に合いました報告でした。
「家の玄関に着くまでが旅」ということで、帰路の珍道中も記すことに。
加古川市の厄神八幡神社を午後4時半過ぎに出発。往路は西脇市の日本のへそを目指したので、中国自動車道を走ったが、グーグルが導いた帰路は山陽自動車道だった。あとはのんびり帰るだけと思っていたのだが、まだ旅のトラップがあった。トンネルトラップである。中国道ではほぼほぼ通ることのなかったトンネルアーチが続く。なんでやねん!と思ったが、この旅で鬼のトンネル修行を終えたうずめにとって、もはや屁でもないとまでは言わないが、まぁそれほど大変な思いをすることもなく抜け切った。
二日目も結局お昼を食べなかったのだが、この日もお昼を食べず動き回ったので、休憩を兼ねてサービスエリアで夕飯をとることに。しかしどこで食べたのか覚えていない。今、路線図で調べても自分が途中でどの道を走ったか分からない。これでよくまあ播磨まで行ったものだ。ただ食べたのは野菜のせカレーで美味しかったことだけは覚えている。
これにてうずめ流旅日記は終了。読んでいただきありがとうございました。
日岡山公園の駐車場を出発したのが午後4時前。15分ほどで旅の最終ポイントに到着。9月半ばともなると4時を過ぎれば夕暮れが迫ってくる。境内を撮った写真も少し寂しい印象。
『宇佐厄神八幡神社』神社に厄神とはこれいかに?と思ったのだが、厄除けで有名な神社で、地元では『厄神』さんと親しまれ、2月18日、19日の厄除け大祭には全国から大勢の人が訪れるそうだが、平日の夕方は貸切であった。なぜこの神社を訪れるポイントに入れたのかよく分からない。なんとなく地図やネットを見ながら、今回の参拝ルートを決めた。調べている時には、参拝しようと思った理由があったのだろうが、旅をする頃にはすっかり忘れている(汗)とりあえず旅のお礼をしつつ参拝。記念に今回最後のおみくじを引いてみた。ムフフ大吉であった。ありがたいお土産だ。もう一つ旅の締めの神社にふさわしい神計らいがあった。社殿に飾られていた絵が『天の岩戸開き』もちろんアメノウズメも描かれている。旅の目的は新美宇受女の播磨の地へのご挨拶だった。日本のへそに始まりうずめの岩戸舞で終わる神仕組みに感謝。そしていよいよ次回は最終回となる。
旅レポをアップしていると、今現在旅の最中だと勘違いされることが多々あるが、旅をしたのは9月14日から16日で、これから綴るのは最終日の後半である。
『グーグルが「曲がれ!」と指示したのが、ここなのか?次の交差点なのか?問題』は私以外にも経験している方はいるのではないかと思う。そしてこの『日岡神社』もまさに『グーグルの曲がれ問題』で大きく運命を左右されたポイントである。曲がりそこない、すぐ先の道を曲がると『日岡山公園』の駐車場があったのでそこに停めて歩くことに。案内看板とグーグルを頼りに歩いたが大きく迂回してしまい40分近くかかった。汗をかきかき辿り着いた神社は、曲がりそこなった交差点のすぐ近くだった(涙)「この公園を歩くことにきっと意味があったに違いない」と、こんな時にもくじけずに都合良く考えるのがうずめ流である。ヤマトタケルの母親の陵墓のある大きな神社だった。神社を後にしていよいよ最終ポイントに向かう途中に、龍の顔のような雲が浮かんでいた。くれぐれも竜頭蛇尾にならぬようにしたいものである。
「高砂や〜この浦舟に帆をあげて〜♪」という能の謡曲は有名。その舞台の一つといわれている『高砂神社』に到着。境内には立派な能舞台も設けられている。由緒書きによると神功皇后による創建とか。これまた随分古い歴史を持つ。
この神社で有名なのが『相生の松』一つの根から雌雄二本の幹を持つ松が境内に生え、その松にイザナギとイザナミが宿ったとのこと。霊松として崇められて、現在青々と茂っているのは五代目とあった。昭和12年に枯れた三代目の幹が今でも『霊松殿』に保存されているが、龍を彷彿させるありがたいフォルムをしている。ちなみにこの相生の松と呼ばれるものは全国に点在するが、その中でも特に有名なのが高砂神社の松らしい。長寿、縁結び、和合の象徴とのことだが、この旅では夫婦杉など夫婦円満のご利益のある神社にいくつかお参りしている。これで我が家もしばらくは安泰であろう(笑)もはや旅を始めた目的がなんだったのか分からなくなっている(汗)
予定外のポイントが増えることもあれば、訪れる順番が変わることもある。『泊神社』からは本来の次なる目的地よりも同加古川市内の『鶴林寺』の方が近いと判明。数分の違いだがもちろん近い方を選ぶ。
聖徳太子が創立したというこのお寺の正式名称は『刀田山(とたさん)鶴林寺』587年に建立とあるのでまさに播磨路の古刹と呼ぶにふさわしい。仁王門を潜ると大小の堂に三重塔が建ち並ぶ。境内の奥にも寺院が続き、奈良の寺社に似ている思ったら「播磨の法隆寺」とも称されているらしい。ここは入山料を支払ったが、これだけのものを維持するにはそれも必要だろう。ここで懲りずにおみくじを引いてみた。既に凶を引いいているのでもう怖いものはない。いきなり大吉である。おみくじの振り幅が広い。入山料を支払った甲斐があるというものだ(笑)
チタンの巨大鳥居を潜り抜け次の神社に向かう。こちらも市内なので20分後には到着の予定だった。しかし予定通りに進まないのがうずめ流の旅である。グーグルの説明が悪いのか?私の感度が鈍いのか?なぜか加古川市に突入してしまった。懸命にルート再検索をするグーグルに導かれて走っていると『泊神社』という案内看板に遭遇。迷わずハンドルを左に切り、グーグルをますます混乱させた。
売られた喧嘩は買わないが、呼ばれた神社には行く。多分この神社に挨拶をしていけということだろう。仁義ある神社巡りだ(笑)脇道に入ってすぐに見つかった神社は、広々とした美しい所だった。神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから『泊神社』が建てられたとのこと。宮本武蔵の養子の宮本伊織という人が現在の社殿を改築したとか、なかなか興味深い神社だった。それにしてもどんな鏡が流れ着いたのか?古代の鏡といえば銅鏡が思い浮かぶが、海に沈んでしまわず加古川に辿り着いたのは、やはり神様のパワーだろうか(笑)