昨年から行きたいと思っていた新潟県の弥彦神社に参拝に出かけました。お正月休みの家族旅行という名目で家族を巻き込んで…雪道の運転に慣れているパートナーのおかげで無事に旅行を終えることができました。
弥彦神社は燕市の近くの弥彦村にあります。近年パワースポットとして人気を呼んでいるそうで、現地のマップやHPサイトにもパワースポットが記されていました(笑)
越後一之宮ということで、村の入り口には巨大な鳥居がそびえていて、奈良の三輪神社を思い出しました。北陸は雪マークの天気予報通りに雪が舞う中で参拝。
標高600メートル強の弥彦山の頂上までロープウェイで登り、奥の宮詣にトライ。スカイタワーとほぼ同じ高さの山頂は下界とは雪の深さが異なり、数十センチ積もった白銀の道を踏みしめながら歩きました。何故か八甲田山の映画など思い出しながら。何故か『津軽海峡冬景色』など口ずさみながら…。すっぽりと雪に埋もれたお宮に辿り着きご挨拶をしてロープウェイで下山。晴れた日には佐渡まで見渡せるそうですが、360度グレイな視界が広がっていました。
で、パワーはいただくことができたのでしょうか?(笑)そもそもパワースポットというのがどういうものかよく分からないので、やっぱりご挨拶にうかがうという感じでしょうか。うずめ的解釈では、パワースポットとはエネルギーの『交換』もしくは『交感』あるいは『交歓』が行いやすい場所なのかなという感じです。いただくばっかりじゃなくて、こちらからも何か差し上げる。ギブ&テイクな関係の方が楽しいしお互い嬉しいかなと…。しかし先方にありがた迷惑だと思われないものでないとね…。そこか難しいところ?やっぱり日々是精進して霊磨くしかないですね~(笑)今年の心の垢どれくらいたまっちゃったかな~。
写真は雪に埋もれた弥彦神社奥の宮です。
本が手元に無い方が、これを読んでいただいているかもしれないので、ネット小説のアドレスをご紹介しておきます。
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元旦の新着情報(いわゆるブログです)で、『全ては私たち一人ひとりの一瞬一瞬の選択…』というようなことをつづりました。
「よ~し!2012年辰年!今年こそは、前向きで、明るく、いつも笑顔で楽しくいくぞ~!!」と、元旦の朝、目が覚めた布団の中で、また神棚や仏壇にお参りしながら、あるいは初日の出を拝み、初詣に出かけ…心に決めた方も多いのではないでしょうか。もちろん私もそんな日本人の一人です。
が、三が日が終わらないうちから、「かんべんしてよ~」とか「なんで~」とか「も~」とか「おい~っ」とか「やだな~」とか、健やかな心を乱すようなことが容赦なく起きては、雪の如く降り積もっていきます。
一瞬一瞬の選択に正解とか間違いはなくても、自分の心の中で、「あ~ぁ、愛じゃなくて怒り(恐れ)の選択をしちゃったな~」と落ち込む選択をすることもあります。でもまあ生きているということは、いろんなことが途切れることなく起こるということなので、「なんでやろな~」と思う展開もしばしば登場します。
ポイントはそこでの起動修正の早さなんじゃないかなと最近思うのです。で、私が最近とっている方法は、精神科医の越智啓子さんの提唱する『すべてはうまくいっている』というフレーズを思い出すようにすることです。
ただ言葉を唱えるだけでは面白くないので、その言葉を織り込んで詩を作りました。これもハリマビトノウタの一つですね。もちろんメロディーも自分でつけて、下駄を鳴らしながら日々の中でくちずさんでおります。本日ハリマビトノウタにアップしましたので、のぞいてみてくださいませ。
写真はお正月用に新調した私の和風スリッパ…下駄です。
本が手元に無い方が、これを読んでいただいているかもしれないので、ネット小説のアドレスをご紹介しておきます。
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本年もよろしくお願いします。
元旦。目に見えて何かが変わるわけでもなく、カレンダーが新しく変わるだけなんですが、いつもなら「昨日」と表現していたものが「昨年」になってしまいました。
変わったのは外ではなく、私たちの中にある意識なのかもしれません。
大掃除によって汚れやほこりを払拭して、新しい生活のスタートをきる。
昨年までの自分の生き方を省みて、新しい志を立てる。
お正月のような区切りは、一つの人生の中の小さな生まれ変わりの時なのかもしれません。
一秒前の自分と今の自分も、昨日の自分と今日の自分も、瞬間瞬間、毎日毎日生まれ変わっているというのはちょっと意識しずらいですが、一年というフィードバックしやすいサイクルで、毎年再スタートを繰り返しているのかも…。
さてさて、2012年はどんな一年を生きましょうか。
ハリマビトノウタ2012年元旦バージョンもアップしました。
2012年、マヤ暦が…など、いろいろな情報があります。そこで暦が終わっていることの意味は?「そっから先は自分たちで考えて新しい世界を作っていきなさい」という、今を生きる私たちへの、先人からのメッセージなんじゃないかなぁ…なんてうずめは思ったりしております。オメデタイやつですが、正月だもん。メデタク行きましょう~!
写真は縁台に並べたお節。
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2011年最後のブログアップです。大晦日の夕方にPCに向かっているとは、さぞかし余裕のある年越しを迎えているのだろう…といった感じですが…。
かつては迎春準備にもうちょっと頑張ったものです。思えば子どもの頃は新年に向けて自分の部屋と整え、元旦に着る洋服の準備や下着の新調などに張り切っていました。その頃は三が日は休業している店も多かったので、買い忘れのチェックなども入念に行っていた気がします。
大人になってからも、形ばかりの大掃除とお節料理作りをして、時間に追われて追われて31日の夜を迎えたものです。
ところが美里に越してから毎年29日の餅つきが恒例となり、その片付けなどに追われているうちにリズムが変わり…。それでも最初のうちは日付変更線まで頑張って準備をしていましたが、ある時、はたしてこれでいいのか?と思いました。形を整えることばかりに一生懸命で、新年を迎える心の余裕もなくて。
で、どんどん、悪い意味で手抜きに、いい意味で力を抜くようになりました。たくさんの人が集って、ワイワイとお餅をつくことで、空間の大掃除をしてもらっているのだと思っています(大掃除手抜きの言い訳?)
10年くらい前から、冬至を年明けとして、仲間と明けましておめでとうございますと挨拶を交わしたりしているので、二度目の元旦という感覚もあるのかもしれません。
まあ、今日中に終えられなかった諸々の仕事は、旧暦の正月まで持ち越すことに。おおつごもりの夜は、除夜の鐘の音など聴きながら、この一年の心の大掃除をするといたしましょうか。
ブログを読んでいただいたみなさん、今年一年ありがとうございました。
佳いお年をお迎えくださいませ。
写真は餅つきで活躍した鍋たちです。
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人は人生において出会う人を介して、自分自身を知る。つまり自分の前に現れる人の言動の中に、自分では気づいていない自分自身を見ることができる。この鏡の法則については、セミナーが開かれていたり、関連する本が出ていたりするので、知っている方も多いかもしれません。
では単に相手の前に立てば、自分が見えてくるかと言えば、私たちが日常使っている鏡の様には簡単に映してくれません。まず、そんな法則があるのだと認識すること。そして相手をいかにクリアーに見るかということが大切なのだと思います。決め付けや思い込み、自分の尺度などのフィルターを取り払い、360度の方向から素直に相手を見る。その時に初めて相手に映った自分を見つけることができるのではないでしょうか。ほこりだらけの曇った鏡には何も映らないのと同じ。自分の心を素直にするということは、相手という鏡を磨いて自分を映し出すことかもしれませんね。
そして感情の乱れで、心という鏡の池が波立てば、そこに真のものを映し出すことは難しくなります。そこに映っているのは真の姿とはかけ離れた千々に乱れたものになるでしょう。鏡の面の如くにゆるがない心を持ちたいものだと、感情のスイッチが入りやすいうずめは思うのでありました…。
写真は本文と関係があるようなないような。左右対称的な雲でした。
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12月14日の夜、友人に誘ってもらって、鈴鹿で開催された理論物理学者 理学博士の佐治春夫さんの講演会に参加させていただきました。
以前県立図書館のセミナーで講演をお聴きして今回で二回目。その時は宇宙と音にまつわる内容で、最後に月周回衛星「かぐや」の映像を観せていただきました。
今回は、クリスマスの意味から始まり、いのち、巨大地震と人間、時間というものについてなど前回とはまた違った切り口のお話でとても興味深く聴かせていただきました。
深い話ばかりで、感動して聴き入っておりましたが、残念ながら、うずめはそれをお伝えする力量をもっておりませんので、ぜひ機会があれば講演会などにでかけてみてください。一月にも鈴鹿短期大学で講演が行われるそうです。
お話の内容の素晴らしさはもちろんですが、なによりその醸し出されるお人柄というのでしょうか…。大きさと言いましょうか、豊かさと言いましょうか…持っていらっしゃる空気感がとてもいいんです。
学生の時にこんな先生が教えてくれていたら、物理や数学がもうちょっと好きになったかな~などと呟いたら、今からでも遅くないよ~って友だちから一言…理数系うずめに変身できるでしょうか(笑)?
写真はヒビコレの庭の紅葉。12月の初めに撮影したものなので、今は葉っぱのフレディ状態です。
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ヒビコレがイベント続きという言い訳にかまけて、HPのブログ(新着情報ですがほぼブログと言って差し支えないかな)のアップをさぼっておりました。
この一ヶ月足らずの間に個人的にいろんな発掘、発見、認識がありました。50年の歳月を一度しっかり振り返り、必要でない荷物を降ろし心の垢などなどをここで思い切って洗っときましょか~ということで、他の人の力を借りての自己ヒーリングにいそしんでいるこのごろです。
長い歳月を経て、書籍を通してまた、自分自身の内観を通して自分というものを掘り下げてきたつもりですが、どうしてなかなか自分の殻って頑固なものです。優れた自己観察能力、洞察力を持っている人は、自分の姿をはっきりと捉えることができるかもしれませんが、私は自分の顔が鏡を通さないと見えないように、自分のことがちゃんとつかめていなかったのです。
後姿、頭の上から…という感じで、自分では掴みきれない部分を、例えるならカメラで撮影して「ほら、あなたの後姿はこんなんですよ」と見せてくれる。ヒーリングセッションを通してそんな体験をしました。他人を介してでないと自分の全てを知ることができない。そう思うとちょっと謙虚な気持ちになる今日この頃のうずめでした。ヒーリングの話はまたいずれ…。
タイトルの細々と…は、ヒビコレに置かせていただいている玻璃真人の本のお話です。月に一冊、二冊…とゆっくりしたペースではありますが、本を持っていっていただき震災の募金をしてくださる方がみえます。ありがたいことです。ある程度たまったら募金させていただきます。
ありがとうございました。
写真はヒビコレの片隅にひっそりと座敷わらし状態のうずめコーナーです。
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人生は舞台。私は女優シリーズです(笑)
11月11日から13日の3日間、cafe Hibicoreでホール担当いわゆるウエイトレスを務めました。
3日間を通して、美里町を中心に「里山工房めぐり」のイベントが開催され、Hibicoreもそのお仲間に入れていただきました。いつもは食事メニューはないのですが、イベント用にカレーを提供させていただいたところたくさんのお客様に来ていただくことができました。
ふだんは比較的ゆったりリズムのお店ですが、期間中はてんてこ舞いの忙しさ。おまけに3年近いブランクがあるので、ドタバタとご迷惑をおかけしながらのウエイトレス業でした…。それでもいろんな方とお話をし、笑顔をいただくことができてとても楽しい時間でした。
イベントに係わらず何かを行うと、良いことも悪いことも生じてきます。良いと思えること、悪いと思えることという表現の方が正しいのかもしれません。でも失敗だったかなと思うことも、違う角度からとらえると案外それで良かったのかもということがあります。
愛読書『リ・メンバー』によると、人間は三次元の二極性の習性で、物事を良い悪いなど判断してしまうのだとか。事象をただ「そういう事象が今起こっている」と捉えるだけに留めて、価値判断はしないように…と書いてあります。目の前の出来事は一瞬一瞬良く見えたり悪く見えたりします。でも「人間万事塞翁が馬」ということわざもありましたよね。時が経っていつか高~い所から?俯瞰した時に「あ~あ、なんだ。すべてはうまくいっていたんだ」って思うのかもしれませんね。と、考える私は楽天家なのでしょうか(笑)
写真はイベント用に美里町の素敵なおじさまが活けてくださった野の花です。
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なぜか「人生劇場」というフレーズが飛び出しました。先日、尾﨑士朗の出生地である西尾市の吉良町に仕事ででかけたからでしょう…。吉良町がらみの話はまた次の機会にして、本日は「人生は劇…??」というテーマです。
誰でもそうですが、毎日毎日やることがいっぱいです。日々のローテーションに組み込まれていることから、突発的なことまで。仕事だったり、家事だったり、習い事だったり。時に自信をなくしたり、時に抱え込みすぎていっぱいいっぱいになったり、時に大爆発を起こしたり(笑)
実はこの夏、私自身がいっぱいいっぱいになり、ついに噴火してしまいました…。いろんなところに溶岩やらマグマが飛び散ったかもしれません。でもそれは本当は弱い自分や折れそうだった自分を認めて受け入れる作業だったんだと思います。噴火後、目の前がクリアーになりいろんな物事の見方や感じ方が変わりました。それまで本当に目先のことしか見えていなかったし、考えていなかったんだなと認識しました。
以来一歩引いた場所から自分を見る、物事を考えるようになりました。視野が広がったのでしょうか。感覚としては今まで自分に与えられた演技をこなすだけで精一杯で、共演者の演技も見えておらず、舞台監督の声も聴こえていなかったという感じですね。
人生は長い舞台に例えられますが、まさにその通りなのかもしれません。それぞれの人生はそれぞれの人が主役の舞台。だとしたら、せっかくだからアカデミー賞を受賞するくらいの舞台づくりをしようかな。監督から主演女優までこなす銀幕のスターを目指してね!
なぜか写真はひなたぼっこをする「かめ吉」
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2011年の10月28日説はクリアーしましたが、前から話題に上っている2012年12月の終末論やアセッションの話は、今やスピリチュアルな世界に興味の無かった人たちも意識するほど市民権?を得ています。日本でも「日月神示」のような本が普通に本屋さんに並ぶようになりました。
ふと思ったことがあります。世界にあふれている飢餓。内戦。児童買春。貧困。もし魂がまた次のどこかに生まれ変われることができるのなら、言葉は悪いですが、私たち人類は一回リセットした方がいいのかもしれない。そのための終末なのかもしれないと。
でもすぐに考え直しました。そんな世界のままで、この地球を終わらせてはいけないのだと。寿命ある惑星にはいつかは最期の時が訪れるのだとしても。一人でも多くの人が、そしていつか全ての人が心から笑える時の訪れを母なる地球に見届けてもらうまでは…。
そんな想いで、久々にハリマビトノウタアップしました。
誰のために祈るのか
誰かのために祈るのだと
そう思ってきた
世界のために祈っていたのだと
そう考えていた
地球のために祈っているのだと
そう信じていた
だが それはおごった心だった
何のためにでもなく
ただ自分のために祈っていたのだ
誰かのために 世界のために
地球のために
そう想い描いて羽ばたいた祈りは
すべて自分のもとに還る
祈る誰かのいるしあわせ
祈る世界のあるありがたさ
祈る地球のある尊さ
私たちに祈る心を与えてくれた何か…
やがて祈りはそこに還る
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