今を生きる魂への物語
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シンクロ「奇跡のリンゴ」とcafe cocoroさん
2011年6月10日 (金)

「シンクロ」という言葉を耳にすることがあります。あらためて考えると日本語に置き換えられなかったので、調べてみました。ウイキペディアによると「シンクロニシティ」とは「意味のある偶然の一致」のことで、日本語訳では「共時性」とも言う…。とありました。「意味のある」の部分が単なる偶然やたまたまと違う部分なんですね~。

先日cafe cocoro(カフェ・ココロ)さんで、シンクロ体験をいたしました。
仕事がちょっと落ち着き、ほぼ一ヶ月ぶりにお昼をcocoroさんでと出かけたところ、2階は満席でキッチン横のカウンターに席を設けてもらいました。たまたまその①がこのカウンター席。
この日はゆっくり本を読みながらと思い、家から読みかけの本を持ってきていましたが、カウンターの数冊の本の中に気になるタイトルが一冊。「奇跡のリンゴ」。たまたまその②がこの本。
パラッと最初のページをめくってみたら、この本は今、まさに探していた情報が詰まっているではないですか。「真言の…」第二部の農業の部分を書いているのですが、具体的な資料となるものが欲しいと考えていたところだったのです。むさぼり読んでたら、cocoroのママがその姿を見て、貸してあげますよと言ってくれました。

店に入ってしばらくしたら、一組のお客さんが帰られたので、もう少し遅く来ていたらカウンターには座らなかったかも。
私的にはとってもシンクロな出来事でした。本はとても参考になったし、感動いたしました。本のお話はまた次の機会に…。

写真は奇跡のクローバー?放置したプランターがジャンボクローバーで埋め尽くされておりました。


2011-06-11 Sat 13:55:19 / Name : まだ生きてます。ひろゆき+
シンクロ……シンクロニシティ。
この言葉を聞くとき、反射的に浮かぶ言葉があります。

いかなる理由があっても「オオサンショウウオ」に手を出してはいけません。

いまから15年前、家族はまだ3人でした。
その年の秋、妻と長女が、久居農林高校の文化祭の会場から、1匹の子猫を連れて帰ったのです。
最後まで引き取り手がなかったという、きわめてランダムな毛並みの三毛でありました。
家族は、生後2か月のその猫にリリコと名付け、8か月間飼ってやりました。
リリコは賢い猫で、共同生活は楽しいものでしたが、あくる年の6月、どこからか拾ってきた毒を腹に入れたまま、あっけなく死んでしまったのです。
家族は悲嘆に暮れました。わけてもいっしょにいる時間の長かった妻には、きつかったようでした。
卑怯でも誤魔化しでもいいから、とにかくこのつらさから逃れたい。
酒や遊興を知らぬ家族は、どこか遠いところでぼんやりと過ごしたいと思うばかりでした。
3日後の日曜日、気の抜けたような候補地選びの中から、赤目四十八滝の名が浮かびました。「赤」とか「八」という字面の心地よさにすがったのかもしれません。
じめじめした家族と天候でしたが、せっかく行くなら、赤目を1日楽しもうと決意したのでした。

赤目はよかった。行楽地特有の、あの傷心を無視した明るさがわずらわしくもありましたが、ため息のつける椅子やテーブルもちゃんと用意されていました。
この場所で、自分たちのかくまってきた悲しみを溶かしたいという気持ちと、逆に何も毀たずに持ち帰りたいという想いが拮抗していました。夕方この駐車場から車を出すとき、心はどんな状態でいるのだろうかと、あれこれ想像したりもしました。
でも想像はすべて外れました。
岩だけでできている歩道の最奥から引き返して、半分ほどきたころ、自分は気づきました。先ほどから前をゆく若いカップルが何かを抱えているのです。うしろ姿の女性の右ひじの下から、灰色に滑る尾のようなものがちらちらのぞいています。
その瞬間、腐った脳裏に走る灰色の光がありました。
このひとたちは、オオサンショウウオを持ち帰ろうとしている。特別天然記念物であるこいつに手を出すのは、絶対絶対許されないことなのに。
そう気づいたとき、前をゆくカップルの歩行が速まりました。
人目から逃れたい。後ろめたい。そう感じたに違いない。最近の若いやつらはこういう身勝手をなんとも思っていないのだ。若いやつら。おのれい。みんなの赤目を穢した者ども。俺の赤目を。リリコの思い出を。若いやつらめ。俺もうすぐ39。
思考も行動もずたずたでした。許さない許さない許さない。しかし何もできない。後ろから声を掛けるでもなく肩を押さえつけるでもなく、見失わないようについていくだけでした。
ときどき小走りにもなる自分のあとを、妻は長女はついてくる。彼女らにもオオサンショウウオは見えているのか。家族はひとつ、気持ちもひとつだ。
一向の足は、隘路から水の引いた岩礁のような平らな場所に出ました。多くの人がめいめい写真を撮ったり、へっ。水に触れて、冷たあい、などとほたえている。例の二人組の悪党とは五メートルと離れていない。
きゃつらに物申すなら今をおいて他になし。自分は敢然と歩を進めました。家族の視線を背に受けてカップルの真後ろに立ちました。
──あのねえ。やっぱりいけないことだと思うんだよね。ていうか、それ犯罪だし。ここにいるみんなが持ち帰ったとしたら絶滅しちゃうわけでしょ。天然記念物とかは別として。
いろんな言葉をちりばめた。そして、やっぱり関東の物言いの方がインパクトがあるのかな、なんて思考を追加してみたり。
それらがまとまってきていよいよ口から出ようかという段になって、女が腰をかがめて、その生き物を足もとの岩の上にそっと置くのを見たのです。
立ち上がった女性の両足の間に見えたのは、まともなオオサンショウウオじゃないというのか、まるで灰色の猫のようなオオサンショウウオでした。
その異様な光景にくらくらした自分は、そのあとのことはよく覚えていません。
「どうしたんですかこの猫ちゃん」「おかあさん、猫逃げないね」「出る間際になって車の下にいて」「おかあさん、連れて帰れないんだって」「……じゃあ名古屋からここまでいっしょに?」「おかあさん、猫ほしぃい」「ほんと偶然」「あ、そうなんだ」
訳のわからない会話の中で、猫ください。なんていう女の子の声が聞こえた。長女の声に似ていた。決め台詞になったようだ。
それ以来です。
リリコと名付けられたきゃつめは当然のように猫のふりをして、自分の部屋に、へんっという顔して入り込んでは、スピーカーを倒し原稿を舐めまわし、隠してあったイカの姿焼きのありかを暴くのでした、そればかりか。
長女の家庭訪問のときに担任が、「知美さんは下にご兄弟はおありでしたか」と言葉に気遣うくらい、きゃつめの爪で壁紙も床もぼろぼろにされたのです。
いかなる理由があっても「オオサンショウウオ」に手を出してはいけません。
畢竟、シンクロニシティは、ひとによって生成されるのではないかという気がしているのです。
(写真は本文とは無関係です)
2011-06-12 Sun 23:18:26 / Name : うずめ
天然記念物の猫はイリオモテにいるんだと思っていたら、身近な所にもいたんですね~。シンクロは自分自身が起こしているんでしょうね。良きにつれ、悪しきにつれ。
登録日:2011-06-10 Fri 16:00:57  |  コメントを書く (2)  |  問い合わせる  ページトップへ

ハリマビトノウタ 何ひとつ傷つけることなく アップしました
2011年6月

マメにブログアップしていないので、できる時にやっとけ~、やっとけ~ということで、6月8日第2弾!
里山の自然の中に住まうことができるということは、とても幸せであると同時に、命に向き合う機会も多くなります。
猿や鹿、小鳥などの動物に出会う他に、日々小さな生き物たちとの出会いがあります。雨上がりに歩いていたら、足下でグシュ…。オーッ!やっちゃいました。カタツムリ。ムカデと鉢合わせすることも多々あり。なんで家の中で会うんだよ~。見つかるなよ…と思いながらも、お命頂戴してしまいます。ネズミもしかり…。命を奪っては手を合わせることが増えました。
食べるという行為にしても、快適な環境で生きていくという選択にも(むかでにさされるのは嫌だし、ネズミにコードをかじられても困るし…)、私たちは他の命を奪い続けなければ生きていけないんだなと、思い知る毎日です。
そんな想いを詠んだハリマビトノウタ「何ひとつ 傷つけることなく」をアップしました。


登録日:2011-06-08 Wed 11:50:04  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

玻璃真人ブログベクトル
2011年6月8日 (水)
前回のブログアップが、なんと5月14日。気にはなっていたものの、この一ヶ月あまり、もう一つのペンネームの仕事の取材と原稿に明け暮れておりました。などと書いていますが、実際に時間がなかったわけではありませんが…。様はベクトルを玻璃真人ブログに向ける、そのエネルギー量の問題でしょうか。
などなどなど、言い訳を含みつつ6月8日、何だかいい数字の日なので、三週間ぶりにアップさせていただきました。
写真は熊野市の太郎坂広場という所で撮影しました。今回の仕事は海やら山やら、外歩きが多かったので幸せ。幸せ。

登録日:2011-06-08 Wed 11:28:22  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

萬古まつりに玻璃真人の本と初参加!
2011年5月14日 (土)

萬古まつりに行ってきました。友人の神主さんの紹介で、萬古神社の境内の一角で募金協賛として玻璃真人の本を置かせていただきました。
毎年大賑わいという萬古まつりの会場の萬古会館の周辺はたくさんの人人人で活気に満ちていました。萬古焼きの出店はもちろん、いろんな食べ物屋さんのテントが並び、まつり気分がもりあがります。五月晴れのさわやかな空の下で、あちこちの店をのぞいて歩くだけでも十分楽しめます。
萬古神社ではおごそかな古代舞や地元の方々の踊り、子どもたちの萬古太鼓、中学生の吹奏楽などが披露されました。日本鼻笛協会(NHK)の伊勢友の会のメンバーのみなさんと玉すだれの競演もあり、手拍子とともに盛り上がったり…。鼻笛の会のブースの一部をお借りして山積みにし本。持って行っていただけた数は多くはありませんでしたが、お一人お一人に直接お渡しできて良かったです。今日ご縁をいただいた方の心に何かひとつでも残るものがあれば嬉しいですね。
子どもたちは皿回しや鼻笛に夢中でした。大人も結構楽しんで挑戦してたかな。みんな体動かしたり、演奏したりって好きなのかもしれませんね。鼻笛は誰でも気軽に楽しめるいい楽器だと思います。かく言う私は今だ吹いたことがないのですが…。今度挑戦しようかな。

萬古まつりは明日も行われていますよ。


登録日:2011-05-14 Sat 20:35:27  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

募金へのご協力ありがとうございました。
2011年5月12日 (木)

震災から二ヶ月目にあたる昨日、玻璃真人の本による募金を終了させていただきました。
cafe cocoroさん、Add Cafeさん、cafe Hibicoreの三店舗で、19,578円の募金が集まりました。募金にご協力いただいた方々、どうもありがとうございました。お一人で何度も募金をして、人に差し上げてくださった方もみえました。そして大切なお店の一角を快く貸してくださったcafe cocoroのオーナーご夫妻、Add cafeのオーナーさんには感謝、感謝です。本当にありがとうございました。

玻璃真人の本で義援金を募って良かったのだろうか?と自問したこともありました。ただ募金箱があるよりも、オークション的に何か持ち帰れるものがある方が集まりやすいかもしれないという想いと、玻璃真人の世界を早く広めたという二つの想いからスタートした募金活動です。でもそこには募金に便乗している新美宇受女が見え隠れしているのではないかと思ったのです。ただ、震災直後の私の素直な衝動にもとづいた活動だったのだと思います。そして玻璃真人の世界を広めることが自分のミッションだと再認識しました。

友人の紹介で14日の土曜日の四日市市の萬古まつりの日に、萬古神社の境内でも本による募金活動をさせていただくことになりました。また、玻璃真人の隠れ家のcafe Hibicoreでは、引き続き本による募金を続けています。

ありがとうございました。

登録日:2011-05-12 Thu 22:54:47  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

母の日の今日、詠んだハリマビトノウタ
2011年5月8日 (日)

本日は母の日でした。先週の日曜に玻璃真人の本を届けに出かけたイベント会場で、本運びを手伝ってくれた小六の息子が、天使のアクセサリー作りに挑戦して、それを母の日のプレゼントにしてくれました。ということで、先行でもらってしまったので、今日はプレゼントはなし(そういえばもらったの保育園以来?)。昨日の夜、母の日はカレーにしよう!というので、テレビのCMのように作ってくれるのかと思ったら、母が作るらしい…。今年はそんな母の日でした。でも、一緒に親子でカレーが食べられるというのもありがたいことかなと、感謝していただきました。
ということで、全然関係ないのですが、母の日の今日、高宮神社の階段を下りながら詠ったハリマビトノウタアップしました。思い出しました?宇宙の約束。

登録日:2011-05-08 Sun 21:59:29  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

勝手に玻璃真人ユニット 「ナナムジカ」
2011年4月27日 (水)
またまたまた、勝手に玻璃真人…シリーズ。
今回もアーティスト。もう解散してしまったそうですが「ナナムジカ」という女性ユニット。
このアーティストもまた、「私はこの歌い手さんが好きなんですよ」と、知人が教えてくれてどれどれ~ってYouTubeで聴いてみたのです。
「うわっ!これは玻璃真人の歌!」と思いました。「心音」というのと「くるりくるり」という曲を聴いたのですが、肉体の向こう側の世界…魂の世界をこんな風に歌っている人たちがいたのか~と感動しました。玻璃真人の恋文のもとになっている、今構想中の「玻璃真人ハーレクイーン?物語」のイメージにぴたっと重なりました。
古代神話の月の女神と、ラテン語の音楽という言葉からネーミングされたという不思議なユニット名の「ナナムジカ」の歌、機会があれば一度聴いてみてくださいな…。アレ?もしかして、知らないのは私だけで、みんな知ってたのかな?
登録日:2011-04-27 Wed 23:56:58  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

モクレンの花から「この世で一番の奇跡」へ
2011年4月21日 (木)

ハリマビトノ恋文で「モクレンの花」というウタを書いたのですが、それを読んだ友人が、「木蘭(もくれん)の涙」という曲の詩を教えてくれました。
YouTubeで曲を聴き、さっそく本日レンタルしてきました。音楽の世界にはあまり詳しくないので知らなかったのですが、スターダストレビューが歌っていて、佐藤竹善さんもカバーしているようです。ちなみに佐藤さんのCDをレンタルしてきました。
曲を聴く前の昨日、「木蘭の涙」への返歌のようなウタ「モクレンの贈り物」を書いたので、ハリマビトの恋文にアップします。

「モクレンの贈り物」は、残していった恋人へのメッセージのようでもありますが、それは父からの、母からのあるいは親しい友人からの、そして大きくとらえると地球からの、宇宙からのメッセージなのかもしれないと、ウタを書き終えて思いました。

その「モクレンの贈り物」は、すべて自分の周りにあるものは、共にいる人々は、今ここを生きている私自身のために誰かが与えてくれたものかもしれないという思いで書きました。すべて私のために用意された愛のメッセージなのかもと思うと、受け止め方も向き合い方も不思議と変わってくる…愛おしく思えるのです。

そしてそれは「この世で一番の奇跡」というオグ・マンディーノの本の世界に続きます。私たちは一人ひとり、みなこの宇宙から生み出された「この世で一番の奇跡」なのだと。cafe cocoroさんのお客さんが貸してくれたのですが、とても良い本です。機会があればぜひ読んでみてください。

私たちはみんな「この世で一番の奇跡」として生まれ、愛のメッセージに満ちた贈り物を受け取っている…現実はそんなに美しくも、甘くも、強くも感じられないほど、ハードだったり、苦しかったりするかもしれません。でも、自分はこの世で一番の奇跡で、実は見えない愛で満たされていると思ってみると、今という瞬間をちょっと違う見方でとらえ、向き合うことができるかもしれません。

思うアホゥに思わぬアホゥ、同じアホなら思わなそんそん!って歌ありませんでしたっけ?(笑)

 

2011-04-23 Sat 17:03:21 / Name : ひろゆき……えーお久しぶりで
 ともかく肩の荷だけは下りた定期試験の最終日、高校の正門から最寄駅までを結ぶ一本道で、同級の三人は答合わせをしながら鹿の仔のようにほたえていた。
 いつものような背中を射抜くいやらしい色の西日もなく、ぼくたちは自らの影を踏まずに歩くことができた。空はかんかんに青かった。光が充満していた。
 駅との中間地点にさしかかったころ、ぼくは右手のネギ畑の畝の間に野球のボールが泥砂を被っているのを見つけ、考えもなしに拾い上げた。黒かびで汚れ、傷も出ていたが、ずっしりと重く、おもちゃでないことはすぐにわかった。
「硬式のほんまもんやな」
 ぼくは野球にはぜんぜん関心がなかったのだけど、大人の落し物、社会を構成する部品の一部をたなごころに乗せたような気持ちになっていた。
 ──ちょっとこれ貰ろとこ。本物の硬球や。あんな根深の荒れた畑に埋まっとるほうがおかしい。にやわん。
 やめとけさ。こんなんほかしとき。そんな連れの言葉にも耳を貸さず、ぼくは仲間の手をひと回りしたボールが戻ってくると、砂を払い、隙間だらけの学生鞄にしまおうとした。
 そのとき、左隣にいたTが、「おまえ知らんらしいから教えといたるわ」といって話を始めたのである。駅前の交差点は600メートル先でかすんでいた。15歳の汗も息も、いまとは違っていた。
 本物の野球のボールというものはじつは恐ろしい代物なのだとTは言ったのだ。
「おまえ硬球の芯、見たことないやろ。当然や。見ようとしたら目が潰れる。ええか、あの中にはなあ」
 要約するとこうである。
 認定をパスした公式なボールの構造は、じつは精緻を極めている。投げたときの無用の回転やふらつきをコントロールするために、芯となる核には超高圧下で圧縮された、液体とも気体ともつかない異様な物質が使われており、それがいったんはゴムのように弱々しい皮膜に充填されている。弱々しいだの充填だのといっても、それは何千バールという気の遠くなるような高圧下での工程であり、間違って娑婆に出ようものなら、皮膜はたちまち猛り狂ったように、数千倍にもなる外観を呈しながら爆発する機会を窺うことだろう。
 それを現実のボールの形状に納めるものは何か。力に対し力で押さえつけるものは。
「何やと思う」
 聞いておきながら、Tはぼくに数秒の時間も与えなかった。陽気だった。
 それは糸なんだそうだ。糸といっても単一の種類ではない。羊毛、麻糸、綿糸、合成繊維、炭素繊維といった5種類もの糸が、直径わずか2センチメートルの芯の回りに、何百何千何万回も巻きつけられ、さらに繊維の隙間には特殊な薬液が充填され、それを繰り返すことで、ようようあのボールの大きさにまでなるのだという。信頼の糸。一縷の望み。近代的なボール作りには、この特殊な芯と、それにもましてそれを取り巻く糸の技術が欠かせないのだとTは続けた。製造過程でかかるこれらの高コストは、数をこなすことでまともな値段に納まっているのだという。
「このボール、ここに大きな傷があるやろ。けっこう深いな。こういうのが危ないんや。これは俺の従兄弟が知り合いから聞いた話なんやけどな」
 Tによると、そのどこかに住むどむならん奴というのは、ボールの中心が見たくて全容を解明したくて仲間に自慢したくて、根気強くやすりで削ったりのみで穿鑿したり宥めたりすかしたり蹴飛ばしたりして、どや半分ぐらいまでみしったったぞ、という段になってどうも傷口の容子がおかしい。このプツプツやかましい音は何ぞと訝る間もなく、直後に裂け目からほとばしる得体の知れない液体により両眼を潰してしまったのである。
 ──せやからお前、こんな深い傷のあるボールを今日みたいな暑っつい日に部屋の中に置いとってみ。一発でボーンかもしれんど。
 直射日光の入る勉強机の上で、ボールがいきなり破裂する絵を、Tは想像している。
 でもぼくは別なことを考えていた。
 矛盾という言葉が浮かんだ。例の矛と盾を同時に鬻ぐ人の話である。あの商人、あのとき何と答えたんだっけ。
 技術の粋を集めた危険なものを技術の粋を集めた安全なもので包んだものは、それが野球のボールのように、手のひらに、身近に、隣町にあるときに、危険というレッテルを貼るべきなのか、それとも安全なんじゃと治まるべきなのか。
 ボールなら安全だろう。でもその安全は、いかに芯が危険とはいえど、しょせん生命を脅かすような性質のものではないぜよという、危険性の上限値に依拠しているにすぎない。
 たとえば芯の安全度が百点満点中たったの1点であったとしても、そのまわりに安全度の高い容器で何重にも包み込めば、全体の安全を請け負うことも可能だろう。
 でも中心の安全度が0点だったら。
 ──0点ちゅうのはお前、ゼロという値打ちとは違う。マイナス百点やマイナス1万点や言われても何も返せへんのやぞ。0点ちゅうのはそういうこっちゃ。
 模試の物理Ⅰでたまたま0点を取ったとき、父はそう言った。物理という科目は0点を取りやすい。知ってて言ったのか。
 中心の安全度が0点なら、生命の壊滅をもたらすものなら、いかなる安全基準を満たす仕組みでくるもうとも、詰まるところ、まことの平安は得られまい。
 あのときは、そんな考えもなかったが。
 ボールを手にして歩いていたのは百メートルほどだったが、ぼくは行人の面前でどぶに投げ入れた。
 Tの話を聞いて、ボールが少し重みを増したように感じたからだ。
 手に泥のにおいが少し残った。
2011-04-23 Sat 18:38:18 / Name : うずめ
ひろゆきさま。
実は、私が小学生の頃、実家の母が硬球かな?いろいろな糸でぐるぐる巻きになったボール玉に、皮を貼って赤い糸で縫い閉じていくという内職をやってました。私も手伝ったというか、邪魔をしたことがあるのを思い出しました。「安全」の定義ってなんでしょうね。車だって飛行機だってガスコンロだって何だって「危険」は含んでますよね。100%の安全ではないとどこかで分かっていながら
文明の利器を使っている。もちろん細心の注意を払うという前提で。でも、100%安全でなければ使用してはいけないものもあるはずです。今回の原子力発電所というのもその一つだと思うのです。この文明を享受させてもらった私たちはともかく、未来の子どもたちにあまりにも大きなつけを残してしまった。そして人間だけではなく、動物を植物を巻き込んでいる。これは私たち人間のあまりにも大きなおごり…。テストの0点は怒られて追試して何とかなりますが、取り返しのつかない0点もあります…。
登録日:2011-04-21 Thu 23:30:17  |  コメントを書く (2)  |  問い合わせる  ページトップへ

勝手に玻璃真人アーティスト 福山雅治さん
2011年4月18日 (月)

勝手に玻璃真人シリーズ第2弾。
17日の日曜日に、小六の息子と伊勢で開かれた福山雅治さんのコンサートに行ってきました。
震災以来中止されていたツアーが、伊勢から再スタートを切り「ひとつになろうや 三重」の言葉を繰り返していましたが、アンコールの最後で「桜坂」を歌ったその何分間かは、そこにいた8,700人の想いがひとつになった…会場がそんな空気に包まれたような気がしました。

で、なぜ、玻璃真人アーティストなのかというと、それは私がその歌に日々励まされているからです。誰かを幸せにしたり、楽しくしたり、元気付けたり…そうすることができる人は玻璃真人なのだと思います。たとえ幸せにする対象がたった一人でも、幸せにする対象が動物でも、植物でも。
世界を明るく灯すことができれば、みんな玻璃真人。ただその照らすことのできる明るさは、一人ひとり違う…そういうことだと思うのです。

ランプのホヤを磨くように心を磨き、慈愛というオイルを芯にたっぷり染み込ませて燃やす玻璃真人の灯りには、石油もウランも不要です。

登録日:2011-04-18 Mon 23:58:21  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

ニーチェの言葉 No.125
2011年4月9日 (土)

先日本屋をのぞいてみたら、哲学系のフェアをやっていました。

『ニーチェからのメッセージ』が印刷されて栞が、おみくじのように引き出せるようになっていて、引っ張ってみたら最後の一枚でした。その栞に記された言葉は、『No.125 自分の夢に責任を持つ』というものでした。

大きなものから身の丈大のかわいいものまで、夢はたくさん描いてきましたが、思えばどれも描きっぱなし、言いっぱなしという感じです。

「夢を見るのは自由でしょ!」という台詞は、テレビドラマや日常で口にしたり、耳にしたりすることはよくあるように思えます。でもよくよく考えてみると、「夢を見る=想いを描くあるいは祈る」ということ。
ということは、ひとりひとりの見る夢が未来の世界を作っていくということ。

自分の夢に責任を持つということの意味は、実現するまでその夢を諦めるなということと、その夢の実現で生じた結果に責任を持てということなのかもしれません。
「深いぞ。ニーチェの言葉…」とうなずきながら、本を買わなかったので小心者の私は、そっと栞をもとにもどしておきました。

その『夢』のハリマビトノウタアップしました。

登録日:2011-04-09 Sat 19:39:27  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

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