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人生は舞台…その②ウエイトレスを演じる
2011年11月14日 (月)

人生は舞台。私は女優シリーズです(笑)
11月11日から13日の3日間、cafe Hibicoreでホール担当いわゆるウエイトレスを務めました。

3日間を通して、美里町を中心に「里山工房めぐり」のイベントが開催され、Hibicoreもそのお仲間に入れていただきました。いつもは食事メニューはないのですが、イベント用にカレーを提供させていただいたところたくさんのお客様に来ていただくことができました。

ふだんは比較的ゆったりリズムのお店ですが、期間中はてんてこ舞いの忙しさ。おまけに3年近いブランクがあるので、ドタバタとご迷惑をおかけしながらのウエイトレス業でした…。それでもいろんな方とお話をし、笑顔をいただくことができてとても楽しい時間でした。

イベントに係わらず何かを行うと、良いことも悪いことも生じてきます。良いと思えること、悪いと思えることという表現の方が正しいのかもしれません。でも失敗だったかなと思うことも、違う角度からとらえると案外それで良かったのかもということがあります。
愛読書『リ・メンバー』によると、人間は三次元の二極性の習性で、物事を良い悪いなど判断してしまうのだとか。事象をただ「そういう事象が今起こっている」と捉えるだけに留めて、価値判断はしないように…と書いてあります。目の前の出来事は一瞬一瞬良く見えたり悪く見えたりします。でも「人間万事塞翁が馬」ということわざもありましたよね。時が経っていつか高~い所から?俯瞰した時に「あ~あ、なんだ。すべてはうまくいっていたんだ」って思うのかもしれませんね。と、考える私は楽天家なのでしょうか(笑)

写真はイベント用に美里町の素敵なおじさまが活けてくださった野の花です。

本が手元に無い方が、これを読んでいただいているかもしれないので、ネット小説のアドレスをご紹介しておきます。
http://syosetu.com/
(はりまびと)で検索して下さい。

 


登録日:2011-11-14 Mon 19:41:20  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

「人生劇場」じゃなくて…人生は舞台?
2011年11月9日 (水)

なぜか「人生劇場」というフレーズが飛び出しました。先日、尾﨑士朗の出生地である西尾市の吉良町に仕事ででかけたからでしょう…。吉良町がらみの話はまた次の機会にして、本日は「人生は劇…??」というテーマです。

誰でもそうですが、毎日毎日やることがいっぱいです。日々のローテーションに組み込まれていることから、突発的なことまで。仕事だったり、家事だったり、習い事だったり。時に自信をなくしたり、時に抱え込みすぎていっぱいいっぱいになったり、時に大爆発を起こしたり(笑)

実はこの夏、私自身がいっぱいいっぱいになり、ついに噴火してしまいました…。いろんなところに溶岩やらマグマが飛び散ったかもしれません。でもそれは本当は弱い自分や折れそうだった自分を認めて受け入れる作業だったんだと思います。噴火後、目の前がクリアーになりいろんな物事の見方や感じ方が変わりました。それまで本当に目先のことしか見えていなかったし、考えていなかったんだなと認識しました。

以来一歩引いた場所から自分を見る、物事を考えるようになりました。視野が広がったのでしょうか。感覚としては今まで自分に与えられた演技をこなすだけで精一杯で、共演者の演技も見えておらず、舞台監督の声も聴こえていなかったという感じですね。
人生は長い舞台に例えられますが、まさにその通りなのかもしれません。それぞれの人生はそれぞれの人が主役の舞台。だとしたら、せっかくだからアカデミー賞を受賞するくらいの舞台づくりをしようかな。監督から主演女優までこなす銀幕のスターを目指してね!

なぜか写真はひなたぼっこをする「かめ吉」

本が手元に無い方が、これを読んでいただいているかもしれないので、ネット小説のアドレスをご紹介しておきます。
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登録日:2011-11-10 Thu 00:01:24  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

ハリマビトノウタアップしました。誰のために祈るのか?
2011年11月1日 (火)

2011年の10月28日説はクリアーしましたが、前から話題に上っている2012年12月の終末論やアセッションの話は、今やスピリチュアルな世界に興味の無かった人たちも意識するほど市民権?を得ています。日本でも「日月神示」のような本が普通に本屋さんに並ぶようになりました。

ふと思ったことがあります。世界にあふれている飢餓。内戦。児童買春。貧困。もし魂がまた次のどこかに生まれ変われることができるのなら、言葉は悪いですが、私たち人類は一回リセットした方がいいのかもしれない。そのための終末なのかもしれないと。

でもすぐに考え直しました。そんな世界のままで、この地球を終わらせてはいけないのだと。寿命ある惑星にはいつかは最期の時が訪れるのだとしても。一人でも多くの人が、そしていつか全ての人が心から笑える時の訪れを母なる地球に見届けてもらうまでは…。

そんな想いで、久々にハリマビトノウタアップしました。


誰のために祈るのか


誰かのために祈るのだと

そう思ってきた

世界のために祈っていたのだと

そう考えていた

地球のために祈っているのだと

そう信じていた

だが それはおごった心だった

何のためにでもなく

ただ自分のために祈っていたのだ

誰かのために 世界のために

地球のために

そう想い描いて羽ばたいた祈りは

すべて自分のもとに還る

祈る誰かのいるしあわせ

祈る世界のあるありがたさ

祈る地球のある尊さ

私たちに祈る心を与えてくれた何か…

やがて祈りはそこに還る

 

本が手元に無い方が、これを読んでいただいているかもしれないので、ネット小説のアドレスをご紹介しておきます。
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登録日:2011-11-01 Tue 20:00:55  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

泥だらけのイレブン?田んぼの神様。大笑い!
2011年10月30日 (日)

今日は仕事で、木曽岬町の美し国おこし・三重のパートナーシップ「ごたーげさん」の企画イベント「どろんこサッカー」なるものを観る機会をいただきました。

泣き出しそうな空の下、水を張った田んぼにゴールを作り、泥だらけになりながらサッカーに興じます。いつもはカッコ良くサッカーコートをボールを蹴り走るイレブンたちも(今日はひとチーム5人でしたが)、泥に足をとられたり、すべったり、ボールが思わぬ方向に飛んだりと、いつもとは勝手が違っていました。

参加プレーヤーは大変ですが、観ているこちらは面白いこと。面白いこと。見学者は大笑いで楽しませていただきました。

古来より田植えの前に豊作を祈願した田遊び「田楽」があったように、田んぼでみんなが楽しんで大笑いすることで、場の気がやエネルギーが活性化されるのかもしれませんね。試合終了後には郷土料理の「ボラ雑炊」なるものをごちそうになりました。これがまた美味!…とうことで、本日は現代版「田遊び」を満喫させていただきました。

写真は泥だらけの勇者たちです。


本が手元に無い方が、これを読んでいただいているかもしれないので、ネット小説のアドレスをご紹介しておきます。
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2011-10-31 Mon 10:26:41 / Name : 愉歩
どろんこサッカーというものがあるとは...!
写真を見た瞬間、志摩磯部の伊雑宮のお田植え祭を思い出しました。
選手の方々も、非日常体験ではっちゃけそうですね~。
2011-10-31 Mon 13:38:25 / Name : うずめ
愉歩さま
ほんと、現代のお田植え祭かも。
田んぼの周りでみんなで楽しいことをすると、
田の神が喜ぶかもね(笑)
ちなみに、昨日は曇り雨だったので、プレイヤーは寒かったようです。
登録日:2011-10-30 Sun 19:34:59  |  コメントを書く (2)  |  問い合わせる  ページトップへ

2011年10月29日の今日に想う。
2011年10月29日 (土)

ひろゆきさま
という書き出しで始めてしまって良かったでしょうか?29日の土曜日をどうお過ごしでしょう?(笑)

とりあえず、噂の10月28日を過ぎ、穏やかな秋の週末でした。28日を過ぎて「ああ、良かった何事も無かった」と、あるいは「ほーらまた、人騒がせな眉唾話だったじゃないか」と、昨日の日付を意識していた人は、それぞれに色んな感想を持ったかもしれませんね。

でも、何かがあったとか無かったとかって結局わからないなと思うのです。すべてのことが見えて分かっているわけではないので。単にニュースにならないだけで何かが変わったのかもしれません。それは三次元的なことかもしれないし、違う世界でのことかもしれません。もしかしたら、地球のことを祈ってくれた人やグループがいて、大きな出来事が起こるのを止めてくれたり、規模を小さくしてくれたのかもしれません。

目に見える世界では、特別の大きな動きがなかったとしても、別の世界では何かが変わったのかもしれないなと思ったりします。あくまで思ったり…の段階で、わからないのですが。

わかっているのは、今日も目覚め、朝の太陽を見て、夕焼けに染まる空を見ることができたということだけですね。

写真は洗濯カゴに集合した柿たち。

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2011-10-30 Sun 11:09:43 / Name : ひろゆき
思えば、自分にとってもっともインパクトのある書き出しでして。
しあわせな土曜日でございました。おかげさまで、自分で拾った見つけた感じた幸福感につつまれました。ときどき忘れてもいました。
さて、26日から昨日29日までの4日間の記事には、あるリズムのようなものが感じられまして、これぞ音に聞く起承転結ではないのかと、はたと膝を打ったしだいです。
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■26日の記事:
あらゆる情報が真実とは限らず、われわれは自らの基準で取捨選択することが重要である。捨てるという行為は、情報の価値を問うた結果とは無関係である。

■27日の記事:
われわれの全認識のすべては、外部の第三者によるコントロールによるものなのかも知れない。われわれは以下の主張を否定できない。

──君は自分自身のみを認識できるある存在だ。君が外部だと思っているのは、すべてわたしの手による君への情報の付与の結果に過ぎない。わたしがこれまで情報を与えたことによって君が得た知識に即して単語をもちいれば真相はこうだ。君自身は重量2キログラムの脳(あるいは直径が2億光年の球状生命体だと言ってほしいかい?)で、そのすべての細胞に電気的にアプローチできるように導線が施してある。それはわたしの手許にあるコンピュータ(と呼べばわかりやすいだろう)に接続されている。君の体験、君の感覚は、すべてこれらを伝わる電気信号によるものだ。他者? 他者なぞもとより存在しない。君が五感あるいは六感だと思っている感覚器には、すべてわたしが先回りして紙芝居のように情報を提供してきた。君が『そんな馬鹿なことが』と笑えるのも、すべてわたしの支配下にあるおかげである。

 ある胡乱な男がやってきて爪楊枝のようなものを手のひらに乗せて見せた。
「この棒はね、毎秒2倍の長さに伸びているんですよ。長さだけじゃない、幅も高さも全部2倍です」
「何を言っているんだ。見ていてもちっとも変わらないじゃないか」
「それはね、物差しも同じ割合で伸びているからなんですよ。物差しだけじゃない。じつはこの世のすべてのものがそうなんです。恐ろしいことです」
「この世の全部のものが毎秒2倍に伸びている? それじゃあ何が基準になるの」
「基準なんてありませんや。あるのは真実だけです。勇気をもって真実を見つめましょうよ」
「そんな馬鹿な話があるか。そんなの証明のしようがない」
「でもあなた。それを否定できますか。わたしの言ったことを」

■28日の記事:
しあわせはプチ・クスッの中にもある。それを求めさえすれば。夕日を溜め込んだかのように万余の実をならす柿の大木も、もとは一粒の種である。

■29日の記事:
結局何が起こったのかは、最後になってもわからないのだとも言い得る。目に見えることだけが真実とは限らず、そもそも真実の追究そのものがわれわれの手に余ることなのかも知れない。それよりも、いま自分が何を見、何に囲まれているのかを認識することが大切である。
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人生、何通りもの生き方があるんですね。長文失礼しました。ありがとうございました。
2011-10-31 Mon 10:32:39 / Name : うずめ
ひろゆきさま
27日の物差しのくだりが最高に面白いなと思いました。
基準ってなんなんでしょうね~。
自分が物差しになるってことでしょうか?
背中もかけるしね(笑)
本日のプチ、クスッに入れてもらえるかなぁ…。
登録日:2011-10-29 Sat 18:14:46  |  コメントを書く (2)  |  問い合わせる  ページトップへ

柿のタネじゃなくって、柿のネタ。
2011年10月28日 (金)

今年はどこも柿が豊作のようで、あちらこちらの庭先や畑で実をたわわにつけた柿の木を見ます。

玻璃真人の隠れ家の柿も今年は豊作。数メートルの高さの老木で、実が手の届く所に無かったこともあり、越して来てから数年経ちますが、採って食べたことはありませんでした。時折、猿が投げた食べかけの柿を見て、ちゃんと実がなるんだな~と思っていたくらい。あとは熟して崩れ落ちてしまっているので、鳥たちもしくは、地を這う虫たちのごちそうになっていました。

今年は小さな実が9月頃から落ち始めたのを見つけては拾ってみました。小さくて食べるところはほとんど無いのですが、結構ウマイ。うちの柿もなかなかいけるなと、一日一個、二個落ちてくるちびガキを集めては、猿のごとく一人台所でかじっておりました。

この10日ほど前から、ずんずんと大きくなった柿がどんどん色づいてきました。見上げれば千成柿。でも、高枝はさみでも足らない…。そこで屋根瓦に登って、はさみを突き出しては近くの枝をチョッキン、チョッキン。それでもどれだけ分の一?というくらいしか採れません。もう少し、もう少しと端に行って手を伸ばすのですが、柿を採って落ちたなんてあまりにも恥ずかしいので、欲張りもほどほどに。あ~、あの赤くて旨そうなのだけもう一つ…と強欲の塊になりそうになったら、大きな蜂が飛んできました。欲というのは恐ろしいものです…。

たいていは高いところから落とすので、割れが入ってしまうのですが、傷の無いのをおすそ分けしたり。友人に「届けた柿は、もうちょっと置いておいてから食べた方が美味しいかも」とメールしたら「了解しました。5分したら食べます」と返信。何だか笑ってしまいました。長々と柿のネタを書きましたが、言いたかったのはこのフレーズ。日常のこんなプチ、クスッ…ってやりとりってプチっと幸せになります。


写真は無残にも落ちて爆発した柿。撮影後、洗って皮ごといただきました。皮ごとの柿もなかなかオイシイですよ。無農薬が手に入ったらお試しください。


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登録日:2011-10-28 Fri 19:42:11  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

秋の夕日は線香花火
2011年10月27日 (木)

津の市街から夕方に美里に帰る時、ドラマチックな西の空に出会えることがあります。
本日は、紅い夕日。まん丸夕日とピンクがかった薄紫に染まる雲…。ああ、美しいなぁと…ため息。

玻璃真人の上巻第7章に、真言が舞香と夕日を見る場面がありますが、まさに今日みたいな夕日だったのだろうな(作者が言うのも変ですが)と思いました。その夕日が沈むのを見た瞬間に、真言の閉ざしていた心が少し開くという設定です。

唐突ですが、目の前に展開しているものはすべてマトリックス。ある種の電気信号的なものでしかないという説があります。映画のマトリックスのように誰かが作り上げて、マインドコントロールしている仮想現実なのだという。荒唐無稽なようですが、私はそうなのかもしれないな~なんて思ったりもしています。

でも、仮に電気信号によって見たり感じたりしている現実だとしても、今日のような一瞬の光景に出会え、心から嬉しくなれたら、それはそれで幸せなのかな…もちろんマインドコントロールは困りますが。美しいと感じる心を与えてくれたサムシング?に感謝です。

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写真は三年前の○○歳の誕生日プレゼントのコスモスです。


登録日:2011-10-27 Thu 19:05:57  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

答えを聴くのは自分の心に。判断はくださない…ということ。
2011年10月26日 (水)

小学校6年生の息子が昨日聞いてきました。「10月28日で地球が終わるってゆーとる子がおったでぇ」。来年の12月で終わっていると言われているマヤ暦が、実は今年の10月28日だ説…という話があるらしいのを私もつい二三日前に耳にしたので、息子の言葉に「ほ~。来たかいな」と思いました。

で、「終わると思たら終わり。あんたがどう思うかってこと」と答えると、息子はニタッと笑って言いました。「そー言うと思とったわ。いつもそうやでな」終末思想や地震予言などの噂を聞いて帰った日に交わされる会話では、私の答えが毎回こんな感じなので、彼もそう来ると思ってたよ~ってところでしょうか。

「まだやりたいことあるしな。死にたないなあ」というので、「そんなら大丈夫やぞ」と言ってその話は終わりました。

今仕事のはざかい期なので、調べ物などで結構ネットをのぞいてます。時間が許されると、「その先は?」とか「他の説は」?とかついついネットサーファーになっている自分。するとある。有る。ある。気になる記事に情報、予言、チャネリング…。「これはそうなのかも…」「ああ、そうなのか」「ふ~む、そういうこともありか」「でも、あっちではこう言っていたし」
「この人すごいこと知ってるんだ~」と、読みまくっているうちに、頭の中がこんがらがって訳分からなくなって、情報の食べすぎで苦しくなってしまう…。

で、ちょっと待てよと立ち止まり、私はどこにいるのかなと思い…PCを閉じました。ネットは調べ物をするには本当に便利なものですが、探しにいくと迷子になりそう。PCの画面に載っていることは、どれも本当の自分の探している答えではないのだと思いました。

深い問いは、本当に必要な探し物は、自分の中で見つけなければならないし、その答えは自分の中にしかないのだと思いました。そして自分の外で出会った情報に対しては、それが自分の世界のものだと思えば取り入れ、しっくりこないものだと思ったら取り入れなくていいのではと。その情報は私のものではなく、その情報はそれがしっくりくる誰かのためのものなのでしょう。そして大切なのが、その情報の内容に判断を下さないこと。ただ私のものではないと思うだけでいいのだと。

だから冒頭の10月28日の件も「それは私のための情報ではない」というだけで、そのことについての判断は下してはいけないなと思っています。

で、もし噂がドンピシャだったらどうすんのかって?「いつ露と消えても後悔しない生き方をしていればいいのでは?」なんて、強がりを言ってオシマイ。

 

写真は縁側で日向ぼっこをしているうちの柿たちです。


2011-10-27 Thu 18:27:23 / Name : ひろゆき
まいど。
いいお話でした。しっくりきました。この記事は自分に取り入れたいと思います。
とりわけマゼンタ色の文字で囲まれた部分が圧巻でした。
ネットからの情報を見て、つまらんだの違うだのと腹を立てていた自分が、中和されたような気分です。
ありがとうございました。

そして28日に何か起こったら、29日に考えることにします。土曜ですし。
2011-10-28 Fri 12:16:33 / Name : うずめ
ひろゆきさま
コメントありがとうございます。
リアクションをいただけると、とても嬉しいです。
だれか読んでくれてるのかな~?
いつもキーボード叩きながら思うのですが、
ひろゆきさんやcocoroさん…
少なくとも片手の指数くらいの方が読んでいてくれているかなと思って
つらつらと書き綴っております。

マゼンダの部分は「リ・メンバー」の本の受け売り受け売り(笑)

29日が土曜日だからというくだりは最高です!
笑ったもん勝ちですよね(笑)
登録日:2011-10-26 Wed 16:27:26  |  コメントを書く (2)  |  問い合わせる  ページトップへ

新聞からひろうもの…新聞記事の中の玻璃真人。
2011年10月25日 (火)

朝の家事がひと段落した頃に、珈琲を淹れて、縁側で写真事務所のスタッフと(というほど人はおりませんが)コーヒーブレイク。新聞に目を通す時間でもあります。

基本的にテレビのニュースは観ないので、新聞はニュースソースです。でも最近はインターネットを立ち上げるとニュースが出てくるので、テレビを観ているのと変わらないかな?タイトルだけなので開かない限り映像は出てこないからいいのですが…。ニュースは映像が残るのでなるべく観ないようにしています。新聞も三面記事はもう飛ばして読もうかなと思っています。

だったら新聞やめればいいのですが、時々切り抜いて残しておきたい記事や特集に出会うので、すっぱりはやめられないところです。

昨日付けの伊勢新聞掲載の「地球人間模様@アメリカ『復讐誓った少年』共同通信」もそんな記事でした。これは他紙にはもう少し前に掲載されていたようです。
広島の原爆で家族6人を失い、米国へ労働移住した人のお話でした。いくつもの不条理と思えることを体験しながら、しかしやがて「憎悪の連鎖に決別し、『許し』を説いて平和を訴える行動に出る」。

人はこんなに強くなれるのかと思いました。玻璃真人の本の中で『許し』をテーマに書いていますが、なかなか現実の日常生活では、実践しきれず…。自分の書いたものが机上の空論とならぬよう、襟を正すというか、魂磨きせねばなりませんね。

写真は三年以上前の空雲です。


登録日:2011-10-25 Tue 13:52:09  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

太陽、お日様、お天道様
2011年10月24日 (月)

今この瞬間を写真に撮りたい!と思うような空に出会うことがあります。今日の夕刻の西の空もそうでした。
とは言うものの撮れない状況の方が多いので、ああ残念と思うのですが、仮にも文章を書いているんだったら、それで表現してみろよ~と、心の声が聞こえました(笑)

『10月の午後5時前、西の空にうろこ雲が浮かび、その下にはセルロイドの透明感を持つ雲がかかる…。雲の向こうには丸い太陽が透けて見えている。目を細めずに見つめられる日食のごとき太陽のシルエットが、かえってその存在感を現している…』

イメージできましたでしょうか(笑)?
時々「あ~、今みんな表に出てみ~」と叫びたくなる空模様があります。そんな時は太陽ってすごい、雲って、空ってすごいぞ!と胸が熱くなります。

玻璃真人の下で「太陽もある一つの意識体だとしたら…」というくだりがありますが、そういう時にきっとそう!と感じます。もちろんこの地球も…。

太陽に聴いてみたいものです。秋に桜が目覚めてしまうちょっと不可思議なこの気候のことを。

写真は、今日の空ではありませんが、ちょっとだけイメージが似ているものです。


登録日:2011-10-24 Mon 18:53:27  |  コメントを書く (0)  |  問い合わせる  ページトップへ

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