親子でも夫婦でも認め合うということはなかなか難しい。家族のような近しい関係の相手こそ認めようとか理解しようという気持ちになりにくいような気がします。
父は家族の中で学歴や権威信仰型だったように思います。それに無意識に反抗していたのかどうかはわかりませんが、私は権威的なもの常識といわれるものに対してどちらかというと斜に構えておりました。表に見えている世界より、その裏側からの見方に興味がありました。今でこそ陰謀論をはじめいろいろな情報が飛び交っておりますが、二十代の頃よりそういうものにとても惹かれておりました(それが何年ほど前なのかはご想像にお任せいたします…笑)。
他の家族も私ほど突飛ではありませんが、父とは違う方向性の思考だったと思います。そして兄妹はともに父のその望みに応え切れたとは言えない状況でした。私の場合はなんとかすべりこんだ高校で、赤点三昧の日々。美大卒業後は学んだ油絵の技術を活かすこともなく、父としてはどこかでがっかりしている部分があったでしょう。父方の兄妹の子どもたちは、一流の学校を出てそれなりの仕事に就いているのでなおさらがっかり感があったかもしれません。
娘の私は私で、なぜ父は学歴や仕事の内容にそんなにこだわるのか?と思っていました。
通院に付き添い入院してからは病室で会話を交わすうちに、昭和一桁生まれの父がどんなに勉強がしたかったのか、家庭の事情でそれを断念しなければならなかったことがどんなにくやしかったのかということを聞く機会が何度かありました。兄が葬儀のあいさつで、「60歳になってから車の免許を取り、70歳になってから独学でパソコンを勉強するような新しいことに挑戦し、努力する人でした」と述べていましたが、そんな父のことですから、チャンスに恵まれていたらそれなりの勉学の成果を出せていたのかもしれません。
父との会話を通して、それまで私が心のどこかに抱いていた、父の学歴偏重と思える考え方への嫌悪感が無くなっていった気がします。そして父の期待には応えらえれなくても、その父の若かったころの無念さに耳を傾け共感できたこと、それで良かったのだと思っています。
まだしっかりと会話ができた亡くなる数週間前に、父が私に言いました。兄の生き方はあれはあれでいいんだなと。そして私には面と向かってそういう言葉はありませんでしたが、
私が文章を担当した冊子がたまたま刷り上がったので持っていくと、とても喜んでくれていました。まあ、こいつもこいつなりになんとかやっとるみたいやなあと安心したのかもしれません。旅立つ前に父は兄と私の生き方を理解し、認めてくれたのではないかなと思っています。これも何とかに口無しですがね(笑)
そして入院中の父が私に買ってきてくれと言って読んだ本が和田秀樹著の『東大の功罪』。
私は目次しか目を通していませんが、原発はじめこの国が抱える問題をいわゆる東大のエリートといわれる人々が生み出してきたのではないかという内容のようです。
父が最期に読みたがった本がこの本だったというのも、なんだか不思議な話です。