其の11 孫悟空もびっくりの石の猿山
記紀の中で『アメノウズメノミコト』の夫神にあたるのは『猿田彦命』だ。妻神をお参りしたので、夫神が祀られている『男嶽神社』もお参りしなければバランスが悪い。壱岐島に訪れる旅行客の中で『女嶽神社』に行くのは、どちらかというとマニアックだと思うが、『男嶽神社』は訪れる人も多い観光スポットである。壱岐島で二番目に高い男岳に建つ神社は、この島で参拝した中で一番大きな神社だった。壱岐島の一之宮など今回訪れていない神社もあるので、あくまでも私が訪れた神社の中ではということである。
この神社の見どころは石猿。『猿田彦命』にちなんで250体以上の石の猿が奉納されているのだ。猿以外にも牛が混じっていたりするのだが、ほとんどが猿。猿猿猿!高崎山自然動物園の頭数には及ばないが、風化したものから新しいものまで、とにかく石の猿山ができているのだ。形や表情も異なり一つ一つ眺めてしまう。パートナーもパシャパシャと写真を撮りまくっていた。後から調べたところ山全体が御神体ということで、明治時代までは一般の人の入山が禁止されていたそうだ。そして昔は石牛を奉納することが多かったらしい。お社の両サイドには私の背丈より大きい石像が立っている。『猿田彦命』と『アメノウズメノミコト』の像だろう。男神も女神もちょっと不思議なお顔である。どちらかというと神々しいというより怖い感じがする。古墳群のキャラに負けない個性の強さがある。
境内にはお茶や食事ができるお宮カフェがあり、若者たちの笑い声が響いていた。コーヒーの一杯でも飲んでいきたいところだが先を急がねばならぬ。鳥居の横にある展望台から眼下に広がる森や海を眺めて神社を後にした。
其の10 神社巡りに山道は付きもの
ミッションを終了したとはいえ、巡るポイントはまだまだある。さて、残された時間でどこまで回れるだろうか。午後1時には車を昨日のレンタカーの店まで戻さなければならない。フェリーの出航が昨日とは異なる港のためレンタカー店から送ってもらうことになっている。移動時間が必要なので早めに車を返還しなくてはならない。『月讀神社』を後にしたのは10時半前。残された時間は2時間半である。
この旅行記のタイトル『うずめ旅』はペンネームの新美宇受女から付けたが、ペンネームの宇受女は神様名の『アメノウズメノミコト』からお借りしている。ということで『アメノウズメノミコト』が祀られている神社はスルー出来ない。次の目的地はその神様を祀る『女嶽神社』だ。
グーグルナビに導かれて進むとこの先を車で行って大丈夫なのか?という道に出た。神社巡りあるあるである。車で通れなくもないが、あまり手入れされていない感じの山道だ。一人ならひるんだかもしれないが、二人ならなんとかなる。前進あるのみ。一抹の不安を抱きながら登った先にはこじんまりしたお社があった。鳥居の前には石段が続いていたので歩いて参拝に来る人もいるのかもしれないが、それもちょっと勇気がいる感じだ。訪れる人も少ないのかもしれない。いつもお世話になっていると自分で勝手に思っている神様にご挨拶をして山道を戻った。
其の9 すごいものほど遠慮がちだったりする
壱岐島の一番の目的地である『月讀神社』もそこから車で数分のところにあった。いよいよこの間のセッションで出てきた二つのキーワード『壱岐』と『月讀』が統合される瞬間である。487年に壱岐の県主がこの神社の分霊を京都に祀ったことから、日本の中央に神道が根付いたと言われているらしい。つまりこの『月讀神社』が日本神道発祥の地ということになるそうだ。観光ガイドにさらっとそう書かれているが、もしそれが事実であれば日本神道がここからスタートしたすごい神社なのだ。
広々としたアスファルトの駐車場に車を停めて石の鳥居の前に立つ。鳥居の先に続く石段にパートナーは参拝を断念し、再び車中の人となった。私はもちろん本日のメインスポットを目指しワクワクしながら石段を登り切った。そこにあったのは小さなお社だった。我が家の氏神さんよりもうんと小さなお社。そしてその隣の小さな社務所には宮司さんと思われる男性が座っていた。日本神道発祥の神社にしてはとても遠慮がちな大きさだが、そのギャップが反対に面白かったりする。本殿にお参りした後にその先にある赤い鳥居に向かった。そこには『月夜見命』『月弓命』と名札を立てた二つの祠が祀られていた。つまりこの小山に三つの『ツキヨミ』が祀られているのだ。三位一体という単語がなぜか頭に浮かんだ。こちらをお参りしてからお守りを買って階段を下った。とりあえずこれでこの旅のミッション終了である。どういうミッションかというと自分でも分からない。あくまでも感覚と思い込みの世界である(笑)
其の8 巨人気分が味わえる小さな鳥居潜り
宿を後にして本日の壱岐島巡りスタート。最初に目指したのは『へそ石』だが、その手前で『鬼の窟屋古墳』という看板を発見。古墳好きなのでもちろん立ち寄る。大きな石で組まれた古墳の三角スペースになぜかお地蔵さんが祀られていた。石の隙間を上手く利用している。古墳にお地蔵さんとなんとも不思議な取り合わせだが、その収まり具合の良さに感心した。壱岐島には長崎県の古墳の6割があるらしい。この辺りにも点在しているようだが、この旅では巡っている時間がないのが残念だ。このポイントで古墳以上にインパクトを受けたのは、古墳群の案内看板である。子どもの頃に観たNHKの人形劇に出てきそうなキャラが馬に乗っているのだが、実に味のある顔をしている。この人形をデザインした人の古代人のイメージはこんな感じなのだろうか。
『へそ石』はそこからすぐの道端にあった。車を横の空き地に停めて案内板を読む。島の中心の道標だったらしい。本来は道の向こう側にあったのを工事で移動したとのことなので、正確に言うともうへそではないのかもしれない。その横に立っている石柱には『顎掛け石』という名前が付いていた。壱岐の中心たる心の御柱、あるいはドルメン(巨石信仰)ではないかと言われているらしい。しかしへそ石の位置がずれている時点で、心の御柱説はいかがなものだろうかと思ったりする。もしかしたらこの石柱もへそ石と一緒に移設させられたのだろうか。謎は解けぬままに次のポイント『国片主神社』を目指すべく空き地に向かうと、そこに『国片主神社牛つなぎ場』という手書きの看板を発見。既に目的地の駐車場にいたのだ。石の鳥居を潜ると小さな三つの鳥居が並んでいた。不思議な光景である。鳥居にはそれぞれ家内安全、健康祈願、商売繁盛と書かれていた気がするが写真を撮っていないので定かではない。『鳥居を潜って祈願する』と説明札があった。たぶん一番小さいのが商売繁盛で私の身長の半分もない鳥居だったがそれを潜ってみた。こんなところで五体投地?といった感じではあるが、おかげでこの旅一押しのファンキーショットが撮れた。
其の7 家の風呂より小さい旅館の温泉?
橋の上から夕暮れの港の風景を撮影して、今夜の宿である湯ノ本温泉の旅館『千石荘』に向かう。今回の宿探しは私の担当。私はじゃらん派だ。旅が決まるとじゃらんのサイトとにらめっこの日々が続く。価格、立地、部屋、風呂、食事…あらゆることを調べて悩み迷う。素泊まりで外ご飯を楽しむか、宿でじっくりと食べるかといったことでも悩む。考えてみると時間と労力の無駄遣いなのでさっさと決めれば良いのだが、旅のシミュレーションを楽しんでいるといえるかもしれない。サイト内を行ったり来たりして決められずにいると、パートナーがスマホに一軒の宿のサイトを転送してきた。煮詰まっていた私はそのアイデアに乗っかることにした。それが旅館『千石荘』だった。
昭和の香りがする小さな町の年季の入った小さな旅館だった。部屋にあったベープマットをセットしながら、子どもの頃の夏を思い出していた。旅に出てから初めての食事らしい食事を堪能。調子に乗ってジョッキの生ビールも頼んでご機嫌な夜。
温泉の終了時間は夜9時と宿にしてはずいぶん早いが、家族風呂は24時間入浴可とのことだった。どうせなら広いお風呂に入ろうと少し休憩してから温泉に。赤い暖簾をくぐって入った温泉は、1メートル四方の湯船と洗い場が一つ。女子風呂はずいぶん小さいなと思いながら茶色の鉄錆っぽい湯船に浸かる。いいお湯だったが二人も入れば密な感じだった。次の日朝風呂から帰ってきたパートナーから、男湯の横に女湯があったという情報をゲット。男湯だと思っていた紺色の大きな暖簾の奥に女湯もあったのだ。つまり昨夜入ったのは家族風呂だったということだ。これで合点がいった。今度はゆったりと広い湯船に浸かった。
朝食付きなので普段は食べない朝ご飯をいただく。パートナーは食後に昨日もらった薬を飲む。薬が切れてくるとやはり痛むらしいのだが、ロキソニンを飲むと数分後には痛みがひくらしい。よく効く薬だがなんだか怖い気もする。しかしおかげで旅が続けられるので、今回はロキソニンに感謝である。
其の6 スマホは肝心な時に使えなかったりする
船の車窓から『オリックスレンタカー』というボードを掲げたおじさんの姿が見えた。私たちがこれから24時間借りることになっているレンタカー店の送迎者だ。他の利用者と相乗りでレンタカー店舗まで。レンタカーの並ぶ駐車場の一角で謎の樹のオブジェを見つけた。おじさんの説明によると以前雷が落ちた樹の名残らしい。雷神さんにお迎えされてのスタートだと勝手に思い込むことにした。
宿のチェックインまでにはまだ2時間ほどあったので、郷ノ浦近辺で是非とも行っておきたかったポイントを目指す。出発前に手に入れたマップには載っていなかったが、下調べはバッチリである。住所も調べてあったのでグーグルマップに導かれて『岳の辻』に到着した。マップの検索に入れたポイントは『龍光大神神社』だがグーグルあるあるで、道の途中で「目的地に到着しました」と案内を打ち切られてしまった。近くに散歩休憩中のおじいさんの姿があったので神社について尋ねてみた。その神社は散歩の通り道にあるそうで、最近若い人がお参りしているのを見かけるとのことだった。壱岐島のパワースポットとして人気上昇中なので、参拝者が増えているのだろう。そして若い人ではない私もそれにつられて来てしまっている。
林の中の道を抜けると現れたのは予想に反した小さな祠だった。『大神神社』というには少々こじんまりしているが、金の玉をくわえた立派な龍の像が鎮座していた。大きな社を構えていないのには理由があった。以前この地に祀られていた神社は、他の場所に移されてしまったらしい。それを有志が元の場所に祀り直したのだ。ここはいわゆる元宮なのだ。ここに祀られたことに意味があったのだろうから、戻って来ることができて龍神さんも喜んでいるに違いない。『岳の辻』の展望台から臨む夕暮れの海も空も美しかった。しかしそういう時に限ってスマホの充電が切れる。「あれ撮って、これ撮って」とパートナーに頼むはめになった。とは言え、一年で一番日の長い夏至の日にこんな豊かな時間を過ごすごとができたのは、実にありがたいことだ。
其の5 幻の巨大水中生物
薬局でもらって飲んだ薬は速攻効いた。本人も驚いていたが、これがロキソニンのパワーなのだろう。パートナーも普段はあまり薬を飲まないが、今回の旅ではずいぶんお世話になった。さて、それではいよいよ志賀島に向けて出発と言いたいところだが、そういうわけにはいかなかった。私たちには14時45分発のフェリーで壱岐島に渡るというミッションがあったからだ。さらば志賀島。いつかまた。
北九州自動車道をひた走り博多港に到着。ここからもオイオイという展開であるが、午前中に比べれば屁の河童事件である。
フェリーターミナルの文字のある建物を見つけて切符を買おうとすると「ここではない」という返答。そこはフェリー乗り場の建物で、私たちが乗ろうとしていたジェットフォイルは数十メートル離れた別の建物で切符を買うのだとのこと。教えられた場所に行くと窓口は全部閉まっていた。出航一時間前までクローズらしい。とりあえず申込書に記載して駐車場から荷物を運んだ。切符を買ってから数十分あったのでコーヒータイム。カフェラテとワッフルでひと息ついた。思えば朝からバナナ一本食べただけであった。旅食にしては昨夜からずいぶんと質素である。
船旅の感じは三重県の離島に行くのに似ていた。船のアナウンスで巨大水中生物の目撃が報告されているので、場合によってはそれを避けるための航路変更があるようなことを言っていた。巨大水中生物という言葉で私の脳裏に浮かんだのはネッシーの様な生物。一瞬ワクワクしたのだが後になってよくよく考えてみたら、それはおそらく鯨の類のことだったのだろう。自分の想像力のたくましさに呆れたが、だからこそ物語が書けるのだと思うことにしておいた。巨大水中生物には遭遇しなかったものの航海途中に絡まったゴミを取り除くために数分停止するという体験をした。そして定刻より5分遅れの17時に壱岐島の郷ノ浦港に接岸した。
其の4 旅の観光スポットはご当地病院?
一時間半車を走らせれば渡れる志賀島。郵便局での遅れを換算しても10時半過ぎには志賀島の地を踏みしめていたはずである。しかし描いた青写真通りに運ばないのも旅の常である。つまり一時間半後に私たちが居たのは全く別の場所であった。
旅の三日ほど前から背中が痛いと言い出したパートナー。最初は筋肉痛か筋違いかと言っていたのだがどんどん悪化し、旅行初日から旅どころではない状態に。痛むのは肩甲骨の下辺り。場合によっては内臓疾患の疑いもあるかもしれないと思ったので「病院で診てもらった方がいいかもね」と船の中で言った。そうは言ったがどちらかというとそれは社交辞令であり、内心では二日目には症状が治まっていることを願っていた。しかし本人は相当痛むらしく病院に行きたいとのこと。怖い嫁ではあるが、痛みを訴えている夫の病院行きを阻止するほどの鬼嫁でもないのでネットで病院を探した。ネットの口コミでは「小さな病院なので待ち時間も短くて…」とあったのだが、行ってみると結構大きな総合病院だった。
旅先ではあったが保険証を持参していたのでセーフ。問診から始まって病院の駐車場を後にした時には既に12時半を回っていた。その間にレントゲン、MRI…色々あったのだがここでは割愛する。診察結果は筋肉疲労ということだったので旅は続けられそうだ。とりあえず結果が出て本人もこちらも人心地が着いた。母が狭心症で緊急入院したことがあったので、心臓に近い場所の痛みで万が一ということも頭をよぎっていたからだ。筋肉疲労ということで落ち着いたが、MRIを見た医師がこれはどういう症状なのか?としばらく首を傾げていたらしい。レアなケースだったのだろう。病院での3時間のロスタイムは実に痛かったが、館内にたくさんの絵が飾ってあり、スタッフの対応も良い感じの病院だった。福岡で病院に行くシチュエーションになったら尋ねてください。お教えいたします(笑)
其の3 志賀島に向けていざスタート!のはずが…
港に向かう道中に天理のパーキングエリアで大きなメロンパンを食べたので、二人ともあまり空腹感を感じていなかった。展望レストランのメニューはバイキングのみ。夜なので海が見えないということもあり晩御飯は売店で購入したカップ飯になった。初めてカップのお茶漬けというものを食べたが、普通に永谷園の梅茶漬けの味だった。それからほどなくして船に揺られながら、一日目の旅の眠りについたのだった。
珍しくなかなか眠れなかったものの深夜には夢の中。早朝目覚めた窓の外にはキラキラ光る朝の海が広がっていた。8時半の到着までまだ余裕があったので朝風呂へ。大海原を眺めながらの入浴はなかなか気持ちの良いものだ。
定刻通りに新門司港に到着。このまま今日の最初の目的地である志賀島に向かえば一時間半後には到着の予定。朝から時間を有効に使う完璧なスケジュールである。しかし最初に向かった先は郵便局。旅の出発前に出しそびれた郵便物を出す。9時の開局を待ち郵送手続き完了。これくらいのタイムテーブルの遅れは想定内である。まだまだ時間に余裕はある。朝を食べていないので、なんなら軽くモーニングを食べに寄っても大丈夫。
ここで目指す志賀島についての説明をしておこう。志賀島という名前は知らなくても『魏志倭人伝』に登場する『漢委奴国王』という金印のことは知っているのではないだろうか。その金印が見つかったのが志賀島である。私は島の名前まで覚えていなかったが、志賀島に行くという話をすると「金印の出たところね」と言う人が何人かいた。これは記憶力の違いによるものだろう(汗)もちろん金印出土の場所もターゲットには入っているが、今回の志賀島での一番の目的は『海神社』しかしどうやらこの旅ではご縁が無かったようだ。
其の2 決して開けてはならないカーテン
自動車を載せて大阪南港からフェリーで新門司港に渡るプランにした。パートナーも以前のように陸路をガンガン走る続けるほどのパワーはないし、半月ほど前に打撲した尾骶骨がまだ痛いとのこと。おまけに出発の三日ほど前に背中の筋肉を傷めたらしいので、フェリーにしておいて正解だった。渋滞もなく余裕で港に到着。
個室の部屋はビジネスホテルといった感じでなかなか快適。ルームキーに『ファーストB』と書かれていたので、おそらく個室はファーストクラスという位置づけで『A』の部屋はもう一つランクが上なのだろう。出航は19時50分。既にその一時間前には船上の人となっていた。明るいうちに海を見ながらお風呂に入るのも良いではないかと思い浴室へ。しかし浴槽の窓にはカーテンが引かれており『出航まではカーテンを開けないでください』と貼り紙。開けるなと言われると開けたくなるものである。窓の向こうが気になったのでチラリとカーテンの端をめくってみた。目の前にあったのは乗船用の通路のようで数人の人が歩いていた。それも結構な至近距離。この状態でカーテンを全開にすることは、一つ間違えれば犯罪になる。出航まであと数分だったので、ゆっくり髪を洗いながら出航を待った。動き出した船の浴槽の窓から見えたのは、明かりが灯る大阪南港の夜だった。