いったいいつから書いてるのか?という「玻璃真人新記 真言の…第二部 深化」
第一部を書き始めたのが多分2006年頃で、下巻を発行したのが2009年で、その後から書き出したのだから四年目か~という今更ながら驚いております。
何とな~くの構想は頭の片隅にありながら、何か月も真言の「真」の字も打たないことも。夏前から後半をかき始めて、この夏休み中に書き上げるぞ~!!と決めて、それでもボチボチと…。が、お盆明けにもう真言たちがどんどん動き出すので、それを書き留めていくという感じでした。寝る間も惜しい?(その割にはちゃんと寝てましたが)くらいの一週間が過ぎた8月24日に最後の章が完成。
自分でもある種の自動書記か?と笑ってしまいます。現在は推敲中。間を置いて書いているので、登場人物の名前が変わってたり、文章中の漢字の使い方がまちまちだったりでなかなか大変…。
ということで、まだ人様に披露できる状態ではありませんが、完成のお知らせでした。
春に観たいと思ってタイミングが合わなかった映画を先日観ることができました。愛知・南医療生協の活動軌跡のドキュメタリー映画「だんらん にっぽん」です。
伊勢湾台風で甚大な被害を受けた名古屋市南部の地域で、医師と住民が協力して救助活動を行ったことをきっかけにスタートした南医療生協の50年の奇跡が織り込まれています。地域で生きるということは?一人ひとりの力を合わせることから何が生まれるのか?医療と患者とのあり方は?地域で老いを受け入れるということは?そんなさまざまな問題にヒントを与えてくれる作品です。
個人も地域も国もすべてがそのあり方やこれからを探しあぐねているかに思える今、一つのヒントになる映画だと思います。もちろん玻璃真人ワールド認定です(笑)
ちなみに監督は「葦牙(あしかび)」という映画を撮った方でした。この映画も良かったです。
数年前に書店で平積みになっていた木村秋則さんのドキュメタリー本『奇跡のリンゴ』。気になりながらも手にすることはなかったのですが、少し時間がたってからやはり気になって購読しました。無農薬のリンゴ栽培に挑戦する青森のリンゴ農家木村さんの挑戦を描いた本ですが、読んで頭の中が『すごい』でいっぱいになったことを覚えています。
その本が時を経て映画化されたので観てきました。やっぱり感想は『すごい』でした。常識では無理だと言われていることに挑戦することがすごい。失敗を十回も続けられることがすごい。それをささえた家族がすごい。
ひとつ失敗することが、ひとつ成功に近づいている…ところが、そのひとつの失敗が恐ろしくて身動きの取れない自分のふがいなさを顧みる。十回どころか一回の失敗でも諦めて立ち止まってしまう。そこにもし実がなったとしても、それはきっとすっぱいだけのリンゴのような気がします。失敗を恐れない勇気と諦めない強さという肥料を与えて初めて甘くて美味しいリンゴが実るのでしょうね。甘くて美味し~い実をつけたいものです。
写真は映画の帰りにスーパーの見切り品売り場で買ったもの。甘くも酸っぱくも…味がなかった…。今の私のリンゴかな(笑・涙)
Amazonからこれまでチェックもしくは購入した本のデータをベースに、興味があるのではないですか?と本の紹介メールが届きます。よくよく考えれば読書=頭の中=思考、思想を把握されているわけで、ネット購入というのはある種の危険をはらんでいますよね…。
と、思いつつ便利でついつい利用してしまうのですが、今回商品紹介で見つけたのはこの本『ソウル・オブ・マネー』です。近くの本屋さんに行ってみたら置いてあったので、結局Amazonでは買わなかったのですが…。
書籍は生き方のヒントを与えてくれるものですが、いつも心に留めておくことは、一冊の書籍の中に全ての答えは含まれていないということです。しかしそこには自分一人では気づかなかった考え方や、漠然と感じていたことを腑に落ちるように表してくれるものが詰まっています。『ソウル・オブ・マネー』の本もたくさんのヒントが織り込まれていました。
『あなたか私』の世界から『あなたと私』の世界への移行。お金というツールをこの世界でどのように用いるのかという自分の立ち位置を表明することの重要性などが書かれています。また、文化や差別の中で虐げられてきた女性たちが、自分の立ち位置を世界に向けて表現した勇気ある行動は、ぜひたくさんの人に知っていただきたいと思いました。
お金儲けの指南書ではないので、財布は厚くなりません。でも胸が熱くなり心が軽くなる一冊です。この本を読むと世界には玻璃真人が溢れているんだなと思います。
『ソウル・オブ・マネー』リン・トゥイスト著 牧野内大史訳 ヒカルランド
この春から思い立ち、友人に天然酵母を分けてもらってパン作りを始めました。パン作りそのものは十年ほど前、名古屋在住の時に時々シンプルな酵母パンを作っていました。
二年近く前に子どものおやつ作りにとホームベーカリーを購入したものの、何度か作ってお蔵入り。しかし、毎日毎日市販のメーカーのパンをおやつにというのは、ポストハーベストや添加物のことなど考えると、それほどこだわりのない私も、う~ん、母としてどう?と思い今回のパン作り再開。
ところがそのようなシンプルなパンに息子は見向きもしない。「あんでも入ってりゃ食べるけど~」と、偉そうにのたまっている。そこで今日はアンパンに挑戦。といっても市販の缶詰の餡を煮詰めて水分を飛ばしたものを中に入れ込んだだけ。しかし私の作るパンはなぜかこねることも丸めることもできないスライム状態の生地。そこで生地をオーブンシートの上に置いてから餡を載せて周囲の生地を引っ張ってきてそれを包み隠すという方法。それでもなんとか餡を包んで焼くことができました。焼き立てはそこそこ美味しかったです。
信用のおけるパン屋さんもたくさんあるからアンパンも買えばいいんですが。もちろんお気に入りの店で買うパンも好きですが、きっと作っている工程を楽しんでるんでしょうね。面倒くさそうで、でも、生活の中のリズムに取り込んでいけると週に一回,二回のパン焼きは結構面白いんです。玻璃真人のおマツさんのようにはいきませんが、時間をかけたり手をかけるっていうのもなかなかいいものかも。半世紀を生きてなんだか暮らしを楽しむということが多くなってきたかな?
おマツさん見習いボチボチいきましょう~。
写真はアンパンの袋に貼るために作ったラベルです(笑)
時々利用するコインランドリーに漫画が(今日日はコミックっていうのかなあ)置いてあります。他のコインランドリーでは乾燥機を回している間に買い物に行ったりするのですが、ここの漫画のセレクトがなかなか面白くて結構はまってしまいます。待っている間の2~30分に丁度一冊読めるので、また次回にもう一巻と続きを読むのも楽しみ。
「聖おにいさん」とか「テルマエ・ロマエ」路線から、あまりよく知らない出版社の本が小さなカラーボックスに二十冊足らずなのですが、時々入れ替えもあっていつも新しいものを何か一冊読むことができます。つい先日読んではまったのが「俺物語」という少女漫画。主人公の高校生がこれまでの少女漫画になかったような豪快でごつい系。でもハートと漢気が溢れてなかなか魅力的なのです。そして今時の高校生に珍しいかどうかは分かりませんが無垢でカワイイ彼女。その二人の世界が面白切なく描かれていて、先日はつい人がいるにも係わらず、ランドリー店でブフッっと吹き出してしまいました。
十代までは自宅の押し入れが埋まるほどに漫画を買って読んでおりましたが、成人してからは誰かが貸してくれたり、どこかに置いてあったりもしくは、息子が読んでいるスポーツ漫画を時たま手にするくらいですが、ページを開くとその世界に吸い込まれて違う次元を生きている感じがします。先ほど挙げた「俺物語」の魅力は、ビジュアルじゃない中身で勝負のヒーローが登場したことでしょうか。ビジュアルも大切だけど内から醸し出すものはそれ以上に大切だな~と思った時、ふとわが身を振り返ったりするのでした。
写真は名古屋在住の頃に集めたサザエさんの復刻版。落ち込みの激しかった時だったので、毎月発刊されるこの漫画にずいぶん救われたものです。笑いのスイッチをいれてくれるものはありがたいですね。
新美 宇受女のもう一つの顔は、カフェHibicore(ヒビコレ)の女将。美里町に越してきてから細々と続けていたヒビコレのカフェ部門を昨日5月26日に終了しました。今後は、これまでも時々開催していたコンサート、イベント、講座、ミーティング、パーティなどのスペース、また、写真師 松原 豊のHibicore写真館として、たくさんの方々と新しい時と空間の共有を楽しんでいく古民家Hibicoreとして活動していきます。
昨夜は、カフェの最終日の業務が終わってから、一緒にカフェを支えてくれてきたヒビコレ女将メンバーが中心になって私のためにお疲れさん会を開いてくれました。手作りの持ち寄りのご馳走とお喋りで盛り上がり、プレゼントをいただいき最後にごあいさつをさせていただきました。
今後は新美 宇受女としての活動に重点を置いていきたいこと、玻璃真人の世界にもっとエネルギーを注いでいきたいこと、そしてとりあえずの目標は、月曜9時か土曜9時での玻璃真人のドラマ化です!!と宣言いたしました。みんなの前ではっきりとそんな宣言をしたのは初めて…聞いている方はいつもの冗談だ~って思ったかもしれませんが(笑)でも、自分自身が自分の言葉を信じてスタートしていかないと何も始まらないので、まずは玻璃真人プロジェクト宣言の第一歩。
昨日の一歩が今日になり、今日の一歩が明日になり、道は描いた未来へと続いていくのだと思います。飛べなきゃ階段を上るしかないですよね!
実家には昔から夏みかんの木一本がある。家を建ててそこに引っ越したのが5歳前後だったので、それ以前に植えられたものではないのは確か。二十代前半に中国的なものにはまっていて庭のそのあたりに自分で桃の木を一本植えた記憶はあり、桃栗三年ということで二、三年目にほんの数個の桃を採ることができたのも覚えている。が、その木はもうない。
と書きつつ、本題は夏みかん。いつからそこにあり、いつから実をつけているのかさっぱり記憶にありません。でも気がつくと、毎年大きな夏みかんがたくさんなっているのです。ここ数年は友人がその夏みかんを収穫して美味しいママレードを作ってくれ、それがまたとても美味しいのです。
近所に住む別の友人に実家の夏みかんをおすそ分けしたところ、先日の「宇受女の父語り」シリーズを読んでくれていて、実家の夏みかんと美里の私の家に実っている夏みかんを使って私のために「父娘コラボ夏みかんジャム」とういのを作って今日届けてくれました。
二つの家の夏みかんを混ぜて作ろうと思い立ってくれたそうです。実家の夏みかんは甘いのですが、我が家のはちょっとすっぱいので、ほんのり酸味のあるさわやかな味わいでした。友人が「ママレード」と言わず、あえて「夏みかんジャム」と命名した甘くて苦いその味は父と私の想い出に重なるような気もします…。作ってくれた友人に感謝です。
最近焼き始めた自家製天然酵母パンに載せてたっぷりいただきました~。うまかった!
先日仏頭のブッちゃん(愛称)が突如庭に現れたことを書きましたが、本日の朝のご登場はヘビ。たぶんヤマカカシという種類でしょうか?時々見かけます。
「聖者の行進」ならぬ「聖蛇の行進?」ドラマの場面でもよくありますが、紐?と思ったら蛇だったシリーズ。縁側に鎮座まします姿は、そのくねり具合から一見麻のロープか?と思える形状でした。しばらくは少しずつロープの形を変えながらそこにいたので、何度か挨拶をしたのですが、いつの間にかいなくなっていました。
これが白蛇だったりすると、「神様のお使いだ~」などと言われたりしますが、フツーのヘビだったので、いわゆる吉祥とかに結びつかないのでしょうね。でも、白いヘビだろうが柄付きだろうが生きとし生けるものにはみな神様が宿っているのではないかと思うのです。虫も、花も木も、動物も、もしかしたら無機質と称されるものにも。
私たちの一人ひとりの中に宇宙があり、宇宙の中の一部として私たち一人ひとりがいる。同じように一匹のヘビの中に宇宙があり、宇宙の中の一部として一匹のヘビがいる。宇宙は神と言い換えることができるかもしれません。
そう考えると、相対する人はもちろん、日々出会うすべてのものに対して神に向き合うのと同じ思いで向き合うべきなのかもしれません。すべての中に神を見る…という生き方にはほど遠い生き方をしていますが、心のどこかにそんな謙虚さを持つことも大切かもしれません。
ついつい日常の営みの中で翻弄される感情の波を、少しでも穏やかにするための小さなヒントのような気がする今日この頃です。
「聖者が町にやってくる♪」歌は大好きで、子どもの頃からよく口ずさんだものです。が、我が家にやってきたのは聖者ならぬ仏陀…いえ、正確には仏像の頭部でした。
門を入った右手に大きな水がめがあり、その上にオブジェとして古い井戸のポンプの上部を飾っています。昨日の朝庭を歩いて何気なく井戸辺りに目をやったとき「!?」以前からポンプの右側には小さな緑のポット型の鉢が置いてあったのですが、その丁度対称の位置である左側にも同じような大きさの緑の物があるのです。近づいて見るとなんとそれは仏像の頭部でした。「へ????」と?がいっぱい浮かんだのは言うまでもありません。
10センチにも満たない手のひらサイズの青銅色の仏頭で、とてもよいお顔をしていらっしゃいます。雨露で錆びてもいけないと思い昨夜から室内に鎮座していただいております。
家人に思い当たる節もなく、フェイスブックで心当たりのある方をたずねてみましたが、今のところ誰がどうして置いていったのか謎です。ということでよく分かりませんが、とりあえずご縁のある間は我が家に居ていただくことにしました。
まあ、いろいろあって面白いです。
今後、我が家においでになった経緯その他が判明しましたら、またこのコーナーにてお知らせさせていただきます。
写真は発見された当時の仏頭。あだなはブッちゃんです(笑)