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うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月23日 (木)

其の⑱…ここから飛び立った悲劇

 

夜中に入国したのでサイパン空港の全貌を目にするのはこの時が初めてだった。帰国も夜中なので、このツアーに参加していなかったら一度もその姿を見ることがなかったかもしれない。サイパン空港の歴史をひも解いてみる。ここは最初日本の空軍が滑走路を造り飛行場として使用していた。サイパン陥落後はアメリカが空軍の飛行場としてそのまま使用した。そして戦後サイパン空港として使用されているのだ。そのため飛行場のそばには今も朽ちた戦車などが放置されている。

 

飛行場の一角に写真入りの記念碑が建てられている。そこには『戦争を終結させた飛行場』と記されている。アメリカ軍がサイパン島を手に入れたかったのは、ここから日本に向けて飛行機を飛ばしたかったからだ。サイパンの陥落は日本の敗戦への始まりでもあった。爆弾を携えたB29が日本を目指して飛び立った。その後のことは語るまでもないだろう。

広島、長崎に落とされた原爆はテニアン島から飛び立ち、空襲で日本の都市を焦土と化した爆弾はこの飛行場から飛び立った。『戦争を終結させた…』確かにそうなのかもしれないがなんだか腑に落ちない言葉だ。戦争について語るのはとても難しい。どちらにも正義があり言い分もある。ただ私の感覚では『戦争の悲劇に拍車をかけた飛行場』ではないのかと思う。数多くの悲劇を生んだ戦闘機が離陸した飛行場。ここに私は降り立ったのだ。そして明日またここから飛び立つ。

 

飛行場を出て海辺に向かったが、なぜかその場所のことはあまり覚えていない。最後に地元の人々の住宅街を走る。戦前の日本風の家屋が二軒ほど現存していた。懐かしい造りだ。そのうちの一軒にはまだ人が暮らしているらしい。車はホテルに向かう。ガイドの津田さんと回ったヒストリカルツアーもいよいよ終わりだ。津田さんからは本当にたくさんの大切なことを教わった。日本人以上に日本のことを思ってくれていた。今回の旅の一番の目的であったツアーが終わった。しかしうずめのサイパンはまだ終わらない。次のキーワードはインドだよ()


2014-01-23 Thu 09:03:45 / Name : うずめ
日本人の家
2014-01-28 Tue 11:53:30 / Name : ひろりん
確かに、戦争の事は語れない。
同じ頃、うずめが行けなかったNYで私はイントレピット博物館へ一人で行った。
もちろん、スペースシャトルを見たかったからだ。
そして戦闘機も展示してある。日本人の私が観に行くにはちょっと心に刺さるものもあった。
登録日:2014-01-23 Thu 09:01:55  |  コメントを書く (2)  |  問い合わせる  ページトップへ

うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月22日 (水)

其の⑰…戦場跡のメリークリスマス

 

シュガーキング松江春次の学習の後に向かったのは、日本統治時代に使用されていた刑務所跡地。刑務所を見学するというのも変な感じがするが、ここで注目すべきはそのコンクリーの建物に施された工夫と技である。いかに涼を取り込むか、雨にどう対処するかといったことが考慮されている。そして驚くべきはその完成度の高さだ。「日本から社員旅行で来たゼネコンの社長がここを見て社員に言うんですよ。お前らこんな美しい角度でコンクリが仕上げられるか?これはすごい技術だぞ。よく見ておけよ!って」ガイドの津田さんがコンクリートのラインを指差して言った。日本人の技術力驚くべしである。

 

刑務所見学を終えるとメインストリートから外れて舗装されていないわき道を走った。木々に囲まれた道端に車が止まる。『黒木大隊慰霊碑・野戦重砲第9連隊第二大隊の慰霊碑』という長い名前のポイントで、重砲つまり大砲部隊があったところだ。ボロボロの大砲と戦死者の名前が刻まれた石碑がある。津田さんによるとここではこんなことがあったらしい。若い女性のツアー客が石碑見て叫んだそうだ「あ!ひいおじいちゃんの名前がある!!」彼女の話では、家族は曽祖父は満州で戦死したと信じていたそうだが、実際はここで亡くなっていたのだ。またある時は、たまたま津田さんがサービスで老齢の会社の社長をここに連れてきたところ、彼もまた石碑の名前を見て叫んだそうだ。戦争時に自分の部下だった若者の名前がそこに刻まれていたのだ。その男性もまた部下は満州で戦死したものと信じていた。その社長はそれから長い間号泣していたそうだ。当時、軍の作戦として秘密裏に満州からサイパン島へ渡った兵士が多くいた。もちろん家族はそれを知らないので満州が最期の地だと思っているのだ。家族にとっても亡くなった方にとっても報われない話である。

 

津田さんが平たいお線香を取り出して火を付けながら言った。「これ日本の人にもらったんだけど、火がつきにくいんだよね~」ここにお参りに訪れていた関係者の人たちも皆高齢になって日本から来ることができなくなったそうだ。「だから私ができる間は、ここをお守りさせてもらおうと思ってね」津田さんが言った。燃え始めたお線香に文字が浮き出してきた。南無阿弥陀仏…。私も日本から持参していたお線香を燃やしていいかとたずねると、ぜひにと言ってくれた。母方の祖父が南の島で戦死している。このあたりの小さな島だが、津田さんによると日本からの船は一度サイパン島に上陸してから島々に行ったらしい。「おじいさんもきっとサイパンに来てますよ」と言った。ドライバーの男性が樹からもぎとった緑の柑橘を渡してくれた。スダチのようだが、とても甘くて美味しい。自生しているものらしい。写真でしか見たことのない祖父ももしかしたらこれを食べたかもしれないなと思った。碑の前には小さなクリスマスツリーが飾られている。きっと津田さんが持ってきたくれたのだろう。その心遣いに想いの深さを感じる。やっぱりこのガイドさんと回って良かったなと思う。戦場の跡地でそっとつぶやく「メリークリスマス。そしてみなさんやすらかに」


2014-01-22 Wed 10:24:54 / Name : うずめ
刑務所
2014-01-22 Wed 10:26:15 / Name : うずめ
南無阿弥陀仏の文字が浮かびます
2014-01-28 Tue 11:44:36 / Name : ひろりん
そんなこともあるのか。。。知らない事ばかりだ。
2015-02-14 Sat 10:43:27 / Name : KAZOO
2010年に義父と妻との3人でサイパンツアーに行ったときの事を思い出しました。妻の祖父がマリアナ海峡で戦死したらしいとのことで慰霊の旅を義父が望んでしました。なかなか都合が付かずにいましたが思い切って行きました。津田さんのガイドで有意義な旅でした。1日はレンタカーを借りてバンザイクリフなどを巡りました。文章の一語一語があの時のことを思い出させてくれました。有難うございます。
登録日:2014-01-22 Wed 10:18:37  |  コメントを書く (4)  |  問い合わせる  ページトップへ

うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月21日 (火)

其の⑯…日本人の知らない偉大なる日本人『シュガーキング』

 

マニャガハパラダイスから戻ってシャワーを浴びて、パンと水のお昼ご飯。午後はヒストリカルツアー、歴史探訪に出かける。今回の旅で一番優先させたかったオプショナルツアーである。ツアー客は私の他に年配のお母さんとその娘さんそして若い女性の二人組。ガイドは津田さん。昨日のガイドのテレサさんが、明日は津田さんだから話わかりにくいかもね~と言っていた。ネットでも独特の喋り方で…というコメントを見つけた。しかし日本で申込む時から何となく私はこの人と回りたいと思っていた。昨日は別の女性だったらしいので今日にプランニングして当たりだった。そして実際この津田さんから多くのことを教わることになる。

 

まず向かったのは『シュガーキングパーク』昨日も立ち寄った砂糖王公園だ。だが今日の解説は一味もふた味も違った。シュガーキングとはこの公園に銅像が建てられている松江春次という人物のことである。明治36年にアメリカのルイジアナ州立大学に留学し修士号を習得、全米各地の製糖工場を回って製糖術を学び日本に持ち帰っている。なんとあの珈琲の友、角砂糖を開発したのはこの松江さんなのだ。大正10年に南洋興発を創業してサイパン島、テニアン島に製糖工場を建設した。その後製糖以外の事業も拡大し成功を収めている。つまり実業家なのだが、志の高い人物だったようで、サイパンで製糖を始めたのも、入植していた日本人が悲惨な状況下にあったのを救うためだったらしい。事業の成功で日本人だけではなく現地の人々にも生活を支える基盤が確保されたのだ。津田さんが松江春次の像を見上げながら「スペイン統治時代もドイツ統治時代も、植民地として支配されていたので、日本の統治下なってサイパンの人たちは初めて給料をもらって生活することができるようになりました」と言った。工員のために映画館、劇場、理髪店、酒場など街づくりも力を注いだ。

「松江さんは福島出身です。日本人は野口英世は知ってても松江春次は知らないでしょ。野口さんよりすごい人なんですよ。アメリカ人も松江春次のことは知ってますよ」と津田さん。野口英世よりすごいのか、アメリカ人が知っているのかは私には検証できないが、サイパンの戦火の中でも、敗戦後の混乱時にも昭和9年に建立されたシュガーキング松江春次の像は壊されることなく今も高くそびえている。余談だが松江春次と野口英世は面識があたそうだ。私の勉強不足ではあるがかつてそんな人物が存在し、今も遠い異国の地でその名が語られているとはまさにカルチャーショックであった。

 

サイパンには鉄道がないのだが、製糖業の盛んな折にサトウキビの輸送用に鉄道が敷かれ機関車が走っていた。公園の片隅に当時使われていた機関車が置かれている。最近手を入れたのか以前の写真のものに比べ風情がなくなっているのだが、車体には戦争による銃弾の跡が残っている。「サイパンの人は本当に松江さんを尊敬してるよ。日本のお札、野口英世じゃなくて松江さんにするべきでしょう~」と津田さんが笑いながら言った。そのうち新札のデザインに松江春次が登場する時が来るかもしれない。しかし二千円やら七千円といった非常に使い勝手の悪いお札での登場はごめんこうむりたい()


2014-01-21 Tue 12:12:57 / Name : うずめ
青空の下にそびえ立つ松江春次の銅像。80年のサイパンの歴史を見続けてきた。
2014-01-21 Tue 12:16:27 / Name : うずめ
コメントの写真。
2014-01-28 Tue 11:41:20 / Name : ひろりん
ガイドの言葉をそこまでちゃんと記憶しているうずめさんがすばらしい!
登録日:2014-01-21 Tue 12:03:08  |  コメントを書く (3)  |  問い合わせる  ページトップへ

うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月20日 (月)

其の⑮…バカンスにはアバンチュールでしょ?

 

水色の海に白い砂!ガイドブックの写真より天然の色は数倍輝いている。マニャガハ島に上陸するには一人5ドルの入島料を払うことになっている。ボートを降りて桟橋の受付で5ドルを差し出すのだが、何度試みてもノーノーと断られる。誰も受け取ってくれないのでそのまま桟橋を渡って島へ向かう。決して踏み倒したのではない()

 

「ひとり?」と背後から声をかけられて振り向くと、現地の若者、こことは大切なところであるから強調しておくが、男性である。それもなかなかのナイスガイ。個人情報の都合上公開はできないが証拠の写真は撮ってある。どれどれ~?と思われる方は、個人的にうずめに閲覧を申し出てください()一人だと返事をすると「え~、一人なの~?クリスマスなのに!!」と歩きながら会話が続く。「家族はどうしたの?」とまたたずねられたので「夫と息子は日本で留守番だ」と答える。すると「クリスマスに家族がバラバラなんてありえないでしょう~!」と驚いている。「いや、日本ではクリスマスはそれほど重大なイベントじゃないし、どちらかというとニューイヤーの方がビッグイベントで、その時は家族と過ごすけど…」と説明すると「ありえな~い。クリスマスは世界のビッグイベントでしょう!!クリスマスにママがいないなんて、子どもがかわいそうでしょ~!」と、あくまでもキリスト教クリスマス至上主義の観点はぶれない彼であった。

このハッピーなクリスマスのバカンスに、日本から一人マニャガハ島に来るなんて、なんて変わった気の毒なおばさんなんだろうか…とそう思ったに違いない。彼は島のガードマンをしているとのこと。「頭が痛いから売店に薬を買いに行くんだ。昨日クリスマスイブだっただろ~」と笑う。きっと家族や友だちと世界のビッグイベントを祝いまくったんだろう。「じゃあ島のこといろいろ教えてあげる」と、施設の説明などをしてくれた。ロッカーの使い方を教えてもらう。売店で買ったロッカーのコインが使えないので、かけあったのだが言葉が通じない。通訳してくれてひと段落。

 

ナイスガイは貝殻アート作家でもあるらしく、DFSに作品が置いてあるとのこと。「だんなさんや子どもの名前彫ることもできるからおみやげにいいよ。また電話して」と教えてくれた携帯のナンバーを登録した。あれ?キャッチセールス?という感がないわけでもないが、あれこれ面倒をみてもらったので助かった。帰りのボートが11時半だと言うと、「え~!今着いたばかりなのに!」とまたまた呆れていた。それから「泳ぐならあの辺りがいいよ。海の底は危ないからビーチサンダルは履いたままでね」とアドバイスをしてもらって別れた。

 

そして海へゴー!足の着く深さでも泳いでいる魚が見える美しさ。水中メガネだけでもレンタルすれば良かったかなと思う。背泳ぎでプカプカしながら青い空を眺め、もぐって魚を探し…ほんの30分足らずだがマニャガハ島の海を満喫した。シャワーを浴び、濡れた水着に上着を羽織って桟橋へ。ボートもホテルも水着のままでの移動が普通なので楽ちん。例のナイスガイには再び会うことはなかったが、現地の人と話ができたのは楽しかった。ちなみに会話はもちろん日本語。こうしてプチアバンチュールのクリスマスプレゼント付マニャガハ島のバカンスは終わった。やっぱりバカンスにはロマンが欲しいよね!帰りのボートは貸切。こんなに早い便で帰る人も少ないだろう。どこまでも変わった観光客である。


2014-01-20 Mon 11:54:45 / Name : うずめ
バナナボートなど水泳以外の遊びもたくさんある
2014-01-28 Tue 11:38:47 / Name : ひろりん
キャッチじゃないのが、すばらしい!う〜〜〜ん、何故だろう?うずめが美人だったからか。。。
登録日:2014-01-20 Mon 11:46:47  |  コメントを書く (2)  |  問い合わせる  ページトップへ

うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月19日 (日)

其の⑭…今日も快晴!マニャガハ島が呼んでいる♪

 

昨日の朝とは違いぐっすり眠ってさわやかな目覚め。カーテンを開くと目の前はコバルトブルーの海。もう一度ベッドに戻って横になりながら青い空を見る。高層ならではの風景を楽しみながらゴロゴロする。島に渡る船までまだ時間があるので一階のコンビニに朝食を買いに降りる。またパン。島から戻ってから次のオプショナルツアー出発まであまり時間がないのでお昼の分も。やっぱりパン。海外に渡ったというのに、パンと水ばかりだ。今回の旅のエンゲル係数はそうとう低いとみた。

 

朝パンを食べて水着も着込んで9時半の船には少し早いがビーチへ。プールではもう子どもたちが遊んでいる。ビーチを散歩しスマホでパシャパシャと写真を撮りながら歩く。ホテルスタッフが打ち上げた海藻を掃き集めている。そうこうするうちにボートが逗留されて、家族連れ二組とともに乗り込む。浅瀬に入ってから乗るので、すでにビーチサンダルは水浸しだ。

 

デッキに腰かけてボートが走り出すと、風、風、波、波。普通に波が飛んでくる。お父さんとお姉ちゃんは浮き輪が飛んでいかないように必死で抑え込み、お母さんはしがみつく弟をなだめ続けるという家族劇が船上で繰り広げられていた。10分足らずのワイルドな船旅の間に海の色はエメラルドグリーン、コバルトブルー、ウルトラマリンブルーと刻々色を変えていく。美しい!目指すマニャガハ島は目の前。さてさてここでどんなリゾートタイムが楽しめるのか?帰りの船は11時半、正味一時間しかないシンデレラの()リゾートタイムなのだ!


2014-01-19 Sun 09:02:55 / Name : うずめ
パン!パン!パン!人はパンと水のみで生きるのだ(笑)
2014-01-19 Sun 17:13:00 / Name : ひろりん
いいなぁ〜、コバルトブルーの海!
暖かいところはいいなぁ〜。
登録日:2014-01-19 Sun 09:00:40  |  コメントを書く (2)  |  問い合わせる  ページトップへ

うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月18日 (土)

其の⑬…サイパンでハワイにインド。国境を越えた快楽の夜。

 

I LOVE SAIPANへのルート上にABCというみ やげ物店があるので立ち寄る。一通り店内をチェックしてから目的のI LOVESAIPANへ。大きなショップの中をぐるりと一周する。今日は買わない。ここもチェックだけ。ハワイやグアムなどの商品が多いので要注意。マカデミアナッツ系のチョコが山積みになっているが、ひねりがなさすぎるからチョコは最後の切り札にとっておこう。ココナツチップが気になったので、味見のために一袋購入。実はこれもなかなか美味しかったので翌日おみやげに購入。結局サイパンカリントウもどき、限定版柿の種そしてこのココナツチップがおみやげ三点セットになったのだが、気にいってもらえたのだろうか?もしかしたら定番のチョコの方が良かったかもしれないが、味の好みは人それぞれということで…。

                      

このショップの案内所でスパベルデのマッサージを予約してもらう。ガイドマップを見せて、ここに何時に予約したいというと電話で予約を取ってくれるので実にありがたい。もちろん日本語OKだ。ホテルの隣のジョーテンハファダイショッピングセンターに夕飯を買いに立ち寄る。ジョーテンショッピングセンターというこの見覚えのある名前は、今日の午後オプショナルツアーで時間を持て余したあの量販店のチェーン店である。規模は少し小さいが…笑うしかない。とは言うものの、今度は目的があるのでちょっと楽しい。ビールとパンをゲット。マッサージから帰ってからのお楽しみなので、ビールは冷蔵庫に冷やしておく。

 

ホテルから送迎車に乗ること数分。いよいよスパベルデへ。東洋系のインテリアの店内でお茶をいただいてから廊下を通ってマッサージ室へ。薄暗い中に大きなバスタブやシャワーのある部屋でなんと素っ裸になり施術ベッドの上に。選んだのはハワイの式のロミロミというマッサージで、若いフィリピン出身と思われる女性が、腕、脚、いや全身を使って『ゴギゴギゴギ』とマッサージしてくれる。まさに人間ローラーなのだが、この小柄な女性のどこからこんなパワーがというほどのパワフルさで、とにかく体中を『ゴギゴギ』『グギグギ』されるのだが、痛いというのではなく身をほぐされているとう感じ。それが終わると次はシロダーラ。これはインドの頭部マッサージで、額の上に温かい油をダラダラ流し続けながら頭皮をもみほぐす。したたり続ける油はとても気持ち良いのだが、頭皮のもみ方は半端ない。人間こんなに頭皮を『ガヒガヒ』にもんでいいのか!という勢いでオイルシャンプー。髪の薄い人なら青ざめるに違いないが、これもまた気持ち良い。一時間半が過ぎベットベットに油にまみれた体をシャワーで流して完了。これで720ドルとは満足。満足。その若い女性が帰りの送迎車に同乗した。運転手と何か話しているが、ご機嫌がよくないようだ。「だって今日はクリスマスなのよ。それなのにこんなに遅くなっちゃってさ。あ~あ、買い物して帰るわ」と言って、さきほどのジョーテンのお店で車を降りた。会話の内容は私の推測ではあるが、家族や恋人がいたらクリスマスに働くテンションは下がるだろうな。ごめんね~。さて、私も部屋に戻ってビールを開けるとしますか。サイパンのクリスマスイブに乾杯!


2014-01-19 Sun 17:10:31 / Name : ひろりん
720ドルとはサイパンドルかな?米ドルだと7万2千円くらいで超高いが。。。汗
登録日:2014-01-18 Sat 10:09:59  |  コメントを書く (1)  |  問い合わせる  ページトップへ

うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月17日 (金)

其の⑫…いよいよ自由時間。夜のプランニングスタート。

 

オプショナルツアーの解散場所はDFS  GALLERIA SAIPANという免税店。ガラパンという島の中心街のシンボル的建物。滞在するホテルは道路を挟んだ向かい側にある。とりあえずDFSに入ってみるが、きらびやかなブランドショップが両側に並ぶ通路を通過するだけで終わってしまった。通路に設けられたソファーは買い物中の奥さんを待つおじさんや子ども連れのお父さんで埋もれていた。DFSの中に今回のオプショナルツアーを依頼したツアーデスクがあるのでここで支払いをすませる。ゴディバのチョコ交換券がツアーチケットに付いていたのでDFSの案内所で交換してもらう。二個入りのゴディバチョコにテンションが上がる…この程度でリッチな気分になるようでは、やはりグッチやら…あとは浮かんですらこないがそう言った世界とは縁が無いようである。

 

一旦ホテルに戻り、一日目後半のプランを練ることにする。ホテルのコンビニで地元のお菓子を購入しておやつタイム。サイパンのカリントウと言っていたが、これがなかなか美味しくて帰国前におみやげ用に買い込んだ。部屋に帰る途中でホテル内のツアーデスクを発見。実は今回の短い滞在時間ではどうしても調整がつかずに諦めていたプランがあった。だめもとでそこでプランの相談をしてみた。今日最後に眺めたマニャガハ島行きである。日本でオプショナルツアーを申し込んだのだが、船で渡るため午後のツアーの集合に間に合わないので、このプランは無理ですとダメ出しがでたのだ。だが諦めずに挑戦してみるものである。なんとこのホテルのビーチから専用船が出ており、集合時間までに余裕で帰ってくることが出来る便があったのだ。サイパンに来たらマニャガハでしょと言われる島に行けることになったぞ~!持ってきた水着が無駄にならなかった。

 

部屋でゴロゴロしながらもらってきたフリーペーパーでお店などをチェック。サイパンに来たらやろうと思っていたことがある。マッサージだ。日本の半額くらいの価格設定だし、非日常を味わおうと思ったのだ。マッサージの店を決めた後買い物がてら周辺探索に出かける。目的地はDFSではなくその隣のたぶんサイパン一のお土産物屋さんその名もI LOVE SAIPAN。いざ、サイパン夜の部へ出動!


2014-01-17 Fri 10:20:33 / Name : うずめ
サイパンのお菓子。左はサイパン限定版柿の種。テンション上がったゴディバ(笑)
2014-01-19 Sun 17:05:54 / Name : ひろりん
なかなか、行動的ですばらしいです!
登録日:2014-01-17 Fri 10:17:59  |  コメントを書く (2)  |  問い合わせる  ページトップへ

うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月16日 (木)

其の⑪…最大の疑問観光スポット。ビッグサイズスーパーマーケット

 

サイパン1日観光&ショッピングツアーもいよいよ終盤へ。観光バスツアーにはつきもののショッピングタイム。訪れたのは『ジョーテンスーパーストア』以前は最近日本にも進出している会員制量販店コストコ。現在は会員登録が無くても買い物ができる制度になっている。だだっぴろい建物の中に販売店というよりは倉庫状態で商品が積み上げられている。「はい。ここで一時間、3時まで自由にお買いものしてくださいね~。ビニール袋ありますか~」と、ガイドのテレサさんが笑顔でレジ袋を渡してくれた。

 

想像してみて欲しい…。コストコで一時間の自由時間を与えられた外国人の観光客を。長期滞在ならば何か珍しい現地のものでも買って宿で食べてみるのもいい。しかし明日の夜中には日本に向かう予定のおまけに一人旅の観光客にはちょっと…。それに何と言ってもすべてが大きい。食品も日用品も。とは言うものの店の周囲には島に一軒だけという映画館があるだけであとは野原が広がっている。とりあえず商品棚を見ることにする。ゆっくり時間をかけて歩いた。上から下まで眺め、商品のラベルを見て歩くのも最初のうちは面白いがだんだん飽きてくる。そのうち店員が商品をチェックするような機械的モードで左の通路、右の通路と首を左右に振りながらとにかく一周する。日本の食品は意外なほど種類が豊富だが、日本で買うよりちょっと高めかも。あと、冷凍食品の種類も多く、やはりパックも巨大。我が家の冷凍庫なら一品でいっぱいになりそう()ライフスタイルの違いだろう。やはりアメリカ大陸型かな。結局店の椅子に腰かけ半時間近くを過ごした。

観光ルートにするんだったら、せめてサイパンのお土産っぽいものでもあれば、もう少しショッピングスイッチも入るのだが。

 

やっと3時になり『サンタルーデスの祠』へ。ここは島で唯一真水の出る所で、マリア像が置かれ現地の人々の信仰の場となっている。入り口に一軒あるお土産屋さんで午前中に買ったボジョーボー人形のストラップを買う。ガイドさんがあきれたように笑っていた。その後車中から『マニャガハ島』を展望して本日のツアーは終了。このなかなか名前の覚えられなかったマニャガハ島は二日目に脚光を浴びることに…。


2014-01-16 Thu 10:32:36 / Name : うずめ
野原にぽつんと島唯一の映画館
2014-01-16 Thu 10:34:37 / Name : うずめ
マリア像の前でガイドさんが撮ってくれた貴重な?旅する私。いつもと同じやん!!(笑)
2014-01-19 Sun 17:03:26 / Name : ひろりん
おぉ〜〜。まさに!です!
登録日:2014-01-16 Thu 10:29:00  |  コメントを書く (3)  |  問い合わせる  ページトップへ

うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月15日 (水)

其の⑩色鮮やか!南の島の大聖堂

 

テニアン島を眺めたあとは、少し北上して『マウントカーメル大聖堂』へ。スペイン統治時代に建てられたサイパン島で一番大きなカトリック教会。とは言うものの第二次世界大戦で戦災を受けて現在は二代目の建物だとのこと。美しくそびえる白亜の教会もいいが、オリジナルの建物が現存していたらまた違った趣があっただろうにと思う。イタリアの聖堂のように、石の建造物は長い年月を経てもその味わいを深めながら現役で活躍をしているのだから、戦争は生き物の命を奪うだけでなく、一瞬にして文化も奪ってしまう。ああ、もったいない!

 

教会はとても広く天井も高い。整然と並んだ柱や椅子、敷き詰められた長い緋色の絨毯。厳かな雰囲気ではあるが、祭壇は色使いもカラフルで明るいイメージ。両サイドにはステンドグラスの窓が並ぶ。これはサイパン島の町の数だけあるらしい。教会は町ごとに一つあるそうだ。今日はクリスマスイブ。今は私たち観光客だけのだだっぴろい空間が、ミサが始まる頃には人で満たされるそうだ。

 

建物の裏手には墓地があり、キリスト教のお墓と日本のお墓が混在している。その中には神社の鳥居まであり不思議な光景。この島の歴史の複雑さを象徴している場所の一つだ。


2014-01-15 Wed 10:46:52 / Name : うずめ
青空にそびえる大聖堂。てっぺんにはキリストさん人形がいる。
2014-01-15 Wed 10:48:06 / Name : うずめ
一つひとつモチーフが違うステンドグラス
2014-01-19 Sun 17:00:35 / Name : ひろりん
スペインにも統治されていたのかぁ〜〜〜。
登録日:2014-01-15 Wed 10:45:19  |  コメントを書く (3)  |  問い合わせる  ページトップへ

うずめの『お一人さま』サイパン旅行記
2014年1月14日 (火)

其の⑨…曇っているのは心か?景色か?テニアン島を望む

 

ひと休みして集合場所のホテルの玄関へ。ツアーメンバーが5人に減ったので、観光バスから大型乗用車に変更。午後一番の観光スポットは『テニアン島』の展望。ここがこのツアーの最南端の場所で、岸から対岸に浮かぶ島を見るために立ち寄る。午前中に見たバードアイランドのような風光明媚なところではなく、写真にもあるようにのっぺりとした島がただ横たわっているだけである。

 

しかしサイパン島から約8㎞、飛行機で12分ほどのその島はサイパン島同様に日本と係わりの深い場所なのだ。テニアン島の歴史を簡単にひも解いてみると、1668年にスペイン人がキリスト教の布教に訪れるまでは、先住民のチャモロ人が自給自足の生活を営んでいた。

1695年に住民はグアムへ強制移住させられ無人島に。その後ドイツ統治を経て1920年、日本統治下となり日本人を初めとする移民が入り農産物が作られるようになり、1994年のテニアンの戦いまでここも人々の暮らしの場となっていた。

 

そしてテニアン島の最大の負の遺跡は、広島と長崎に原爆を落としたB29がここから飛び立ったということ。戦後再び人が入り、現在の人口は3,500人ほど。美しいビーチ、ホテルや飲食の施設もある。この日ここで撮った風景は何ともグレイッシュ。冬の日本海か?と思う鉛色。お日様が陰っていたのだろうが、島の哀しみの歴史が映し出されているようにも感じる。テニアン島だって原爆搭載機が離陸した島なんて代名詞で呼ばれたくないだろうに。つくづく人間とは罪深いものだと思う。サイパン島の自然は人間の業が織りなす悲しい物語をどんな思いで見てきたのだろう。人間に感情があるように自然にも感情があるに違いないと私は信じている。大地にごめんなさい。空にごめんなさい。海にごめんなさい。

 

今回の旅行記はヘビー&ダークな内容。南の島のキラキラした部分をお伝えできればいいのだが、キラキラの向こう側から重い歴史がチラチラと顔をのぞかせる。だからそれも伝えなければならないのだと思う。というより、キラキラな旅だけだったらこの旅行記を書こうとは思わなかった。でもヘビー級は一旦ここで終わり。ここからしばらくは面白おかしく暮れていくサイパン一日目をお伝えする予定。よろしければこれからもお付き合いくださいな。


2014-01-14 Tue 12:05:03 / Name : うずめ
テニアン島を望む岸の足元にはサンゴがごろごろ。サイパン島そのものがサンゴで成り立っている
2014-01-15 Wed 06:38:07 / Name : ひろりん
確かにサイパンはちょっと悲しい過去があるからなぁ〜。
夜は怖くて眠れそうにないんですが。。。
大丈夫だった?
2014-01-15 Wed 06:40:18 / Name : ひろりん
早く、次が読みたいのでよろしく!
登録日:2014-01-14 Tue 12:01:38  |  コメントを書く (3)  |  問い合わせる  ページトップへ

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