
人は逝く時を選んでいるのでしょうか?
父が亡くなったのは5月4日の午後1時36分でした。
その日私は京都の亀岡に。兄は大阪の岸和田に。孫にあたる私の息子は奈良の天理に。それぞれがスポーツ少年団の指導だったり、部活の合宿だったりの用事で出かけていました。実家にいた母と義姉もこの日の午後に病院に様子を見に行く予定はしていましたが、まだ家にいました。
ということで、あやうく誰にも看取られずに逝くところでしたが、息を引き取る十数分前に岐阜の従妹夫妻がお見舞いに来てくれて、老人施設で働いている従妹が異変に気づき、医師を呼んで…最後を看取ってくれました。
従妹夫婦は午前中に足を運んだのですが、その時は見舞いの時間外だったので、出直してたまたまその時間に立ち会うことになったのです。
誰も居ない時に逝ってしまうのと、身内が居てくれるのと、残された家族にとっては大きな違いで、二人には感謝しています。まるで父はその二人を待っていたかのようです。
というのも、その週は身内をはじめいろんな方々が会いに来てくださっていて、会う人には会ったよねという感じだったのです。面倒見の良い従妹が来てくれて、きっと安心して旅立つことができたのでしょうね。
3日、4日と私は京都で台湾から来日する方々に会いたかったので、泊りがけで出かけていました。息子は楽しみにしていた野球部の合宿。もう一日、二日早ければ、どちらも予定を中止もしくは半ばで切り上げなければならなかったのです。息子はすでに帰路のバスに居て、私は一連の行事を終え、奇しくも帰り道に立ち寄った亀岡の神社の入り口で訃報の連絡に気づいたのです。同行の友人たちがその場で父のために共にお祈りを捧げてくれました。立ち会えなかったのは残念ではありますが、行かせてくれたのだと思い、京都でつないだ縁を良きものにしていくことが私のなすべきことなのだと感じています。
そして5日のお通夜、6日の告別式と、連休の間に無事に見送ることができました。連休中にご参列いただいた方々にはご迷惑をおかけしたのですが、休みの間に全てが終わるように計らってくれた父に思わずあっ晴れ!と言ってしまいました。
すべてたまたま、偶然と言ってしまえばそれまでなのですが、人は旅立つ時を選べるんじゃないかなとも思うのです。まあ、選んだのかどうかは本人でないとわかりませんけどね。
写真は5月4日の東の空の雲。
玻璃真人作家として付けたペンネーム『新美 宇受女』
『宇受女』は、畏れ多くもかの岩戸開きの神様、天之宇受女命からお借りした名前ですが、『新美』は父方の姓からとりました。
結婚して籍を入れるまでの三十二年を松上、以後の日々を松原と名乗り過ごす中、ペンネームを考えた時に、新美の姓を取り入れたいと思ったのです。松上に婿入りしたことから、父は新美の名を名乗ることはなくなりました。本人に確認したことはありませんが、私がペンネームに新美を用いたことを少しは喜んでいてくれたのかもしれません。
その父がこの5月4日に84歳にて旅立ちました。
玻璃真人の世界を描くことができたのも、この世に生を受ける機会を与えてくれ、慈しみ育ててくれた父のおかげだと思い、棺には『真言の…』上下巻を納めました。
父の死を通して感じたこと学んだことなどを少しずつこのページの上でご紹介していこうと思います。
写真は5月4日、病院から家に帰った父に会いに行く途中に撮影した夕日です。
おだやかな連休の夕方、太陽が西の山に沈んでいくところです。
玻璃真人の本が初めて海を越え、ニューヨークに行きました。
女子美時代のニューヨーク在住の先輩が帰国され二十数年ぶりに会い、「本を出版したんです。ぜひ…」という話になったものの、本の現物をお持ちの方はおわかりのように、上下巻そろうと結構重い…。
「どうぞお持ちください」とスーツケースを陣取るのも申し訳なかったので、エアメールにて届けさせていただきました。
ありがたいことに早々に読んだ感想をメールしていただきました。
メールをやりとりして、本日とても力強い叱咤激励をいただきました。あちらではまだ29日ですと書かれていました。玻璃真人記念日のとても嬉しい出来事です。
さてさて、真言たちは初めての海外でどんな活躍をしてくれるか?
あちらでも一人でも多くの人に読んでいただけたらうれしいな!
本日は玻璃真人記念日です。
第一部の最終章で決めたMY記念日ですが。
ということで久しぶりに新着情報をアップ。
ということで久しぶりというか約一年ぶりに第二部の続き第六章をアップしました。
作品のURLは
http://ncode.syosetu.com/n4053ba/
繭良村の夏休みです。
学園ものっぽくなっている真言たちですが、作品のコンセプトは同じです…と、本人は思っております。
忘れた頃にやってくる彼らですが、こりずにお付き合いいただければ嬉しいです。
吹けば消えそうな玻璃真人の火ですが、なんとか灯り続けております。明かりを絶やさないよう、光が大きくなるよう少しずつでも命を吹き込み続けていかなくてはと思う玻璃真人の日でした。
ヨットハーバー近くにあったカフェのcocoroさんが、津信金近くの23号線沿いに移転。この2月1日にオープンした新店舗におじゃましてきました。
ステキなご夫婦が作り出すやさしい味をいただきつつ、ゆったりと過ごせる空間は、建物が変ってもそのままでした。ハーブティーをいただきながら、本棚の本を一冊読んでしまいました。
駐車場に隣接する大市神社に導かれるようにして新店舗にめぐり合ったとか…素晴らしいシンクロですね!
どこかで聴いたフレーズですが「こころも満タンになる大好きなお店です」
2月10日は旧暦の元旦でした。建国記念日の11日を経て今日2月13日はマヤ暦の元旦だそうです。
今日から260日間の新しいサークルが始まるらしいです。西暦での元旦を迎えてから早ひと月半近く経ちましたが、今日もう一度新年気分を味わい、心新たに再スタートを切る…襟を正すきっかけにしたいなと思っています。春分、夏至、秋分などの区切りも、一年の中での自分の位置や状況を立ち止まって見直してみるタイミングなのかもしれませんね。
2月11日といえば、玻璃真人の本の上巻を発行したのが2008年のこの日でした。それから5年の歳月を経て、真言たちの世界はやっと一年の周期を迎えたところです。しばらく置いていた筆を…というか、今ではキーボードですが最近またポチポチ叩いています。真言たちの高3の夏休みの様子をまとまったらまたネットアップさせていただきますね。
写真は瀧原神宮の参道のゲンコツの樹?ガッツ入ってますね!
夏前に張り切って植えたヒビコレ農園のさつま芋。収穫の秋を迎え、世間にはしっかりと実ったさつま芋が出回り始め…。
さて、さてヒビコレ農園の芋はいつできるのかと、大きくなった葉っぱを見ては「いや、植えるのが遅かったらからもう少し待ってみよう。もう少し…」と楽しみにしておりました。
11月も終わりに近付いた頃「いくらなんでももういいでしょう」と、掘り返し始めました。しかし芋らしきものが見当たりません。
「確かツルをたどって引っ張るとその先に芋がついてくるんだよね~」と引っ張っても何もついていない。
「いや、せめて親指大のものでも出来てるでしょ~」と、鍬でくまなく掘り返してみても、ミミズほどの芋の姿すら無し…。
「やっぱり日当たりが悪いからじゃない~?」とパートナーの言葉…。
さつま芋スィーツは夢と消えました…。
で、アップする写真がないので、この秋に某神社の手洗い場で見つけた冬眠前のカエルをアップしました。春まで手洗い場の穴で眠るのでしょうか?
以前ハリマビトノウタに「虹を探しに」という詩を載せました。虹を見るとハッピーなラッキーな気分になる人は多いと思います。
両端がはっきりと見える半円の虹にはなかなかお目にかかれませんが、水撒きのホースの先にふっと現れたり、日常の中でも小さな虹に出会うことがあります。
わが家の畳の上に描かれる小さな虹もそんな一つ。南向きの窓から差し込む午前の光が七色の虹を映し出します。窓際に置いた金魚か亀の水槽がプリズムの役割を果たしているのでしょう。
朝の家事でバタバタするひと時、足下に映る虹を見て思い出すのがチルチルミチルの青い鳥。
虹を探しに…。旅にでなくても虹はわが家の畳の上にもあったのです…。
写真は…七色の光よりも傷んだ畳の方が気になってしまいますね(笑)
9月の下旬から10月の中旬にかけての三週間ほどは、わが家の栗の収穫時期です。
犬の世話をしに犬小屋に向かうと、足下にひとつ二つと栗のいがが落ちているのを発見した朝から、火バサミとバケツを手にいが栗集めが朝の日課になります。
今にも折れそうな老木ながら、毎日ポトリポトリと落としてくれます。今年は去年ほどの成り年ではありませんでしたが、それでも友だちに少しおすそ分けできるくらいの収穫がありました。
栗ご飯もこの秋は三回炊きました。
栗ご飯を炊くと、「真言の…第一部の上巻」を思い出します。お松さんが紅葉狩りに栗ご飯のおむすびを持たせてくれるくだりです。栗ご飯を炊くことや味噌を仕込むことなど手間をかけることをいとわない、人が喜ぶのがただ素直に嬉しくて、日々の営みを飽くことなく続けていくお松さん…。
そんなお松さんの姿に憧れはしますが、栗ご飯を炊く何よりの理由が「自分が食べたい!」といううずめは、まだまだその域には達せておりません。
そんなこんなを思いながら、今日のお昼は残った栗ご飯のおむすびです。
昨日、飼っていた犬が息を引き取りました。
5月に第二部休止情報をアップし、6月にさつまいものプチ農園の話をアップしてから月日は流れ早10月も半ばを過ぎました。
そして愛犬が今月に入って急に弱り始めて、昨日永久の眠りにつきました。野良だったので歳はわかりませんが、我が家に来てから7年になるのでそこそこの老犬になっていたのだと思います。眠りにつくまでの半月あまりの衰弱と闘うその姿からも多くのことを教えてもらいました。7匹の子犬を産みたくさんの思い出を残してくれた愛犬に感謝です。
秋晴れの空に還っていった愛犬。今こうして命をいただき生かされていることの意味を考えて、自分に残されたこれからの日々の生き方を探っていかなくてはと思いました。
犬小屋の前に作ったプチ農園のさつまいもは、雑草と競合しながら頑張っています。そろそろ掘り時でしょうか…。いもできているのかなあ…?