其の⑯…日本人の知らない偉大なる日本人『シュガーキング』
マニャガハパラダイスから戻ってシャワーを浴びて、パンと水のお昼ご飯。午後はヒストリカルツアー、歴史探訪に出かける。今回の旅で一番優先させたかったオプショナルツアーである。ツアー客は私の他に年配のお母さんとその娘さんそして若い女性の二人組。ガイドは津田さん。昨日のガイドのテレサさんが、明日は津田さんだから話わかりにくいかもね~と言っていた。ネットでも独特の喋り方で…というコメントを見つけた。しかし日本で申込む時から何となく私はこの人と回りたいと思っていた。昨日は別の女性だったらしいので今日にプランニングして当たりだった。そして実際この津田さんから多くのことを教わることになる。
まず向かったのは『シュガーキングパーク』昨日も立ち寄った砂糖王公園だ。だが今日の解説は一味もふた味も違った。シュガーキングとはこの公園に銅像が建てられている松江春次という人物のことである。明治36年にアメリカのルイジアナ州立大学に留学し修士号を習得、全米各地の製糖工場を回って製糖術を学び日本に持ち帰っている。なんとあの珈琲の友、角砂糖を開発したのはこの松江さんなのだ。大正10年に南洋興発を創業してサイパン島、テニアン島に製糖工場を建設した。その後製糖以外の事業も拡大し成功を収めている。つまり実業家なのだが、志の高い人物だったようで、サイパンで製糖を始めたのも、入植していた日本人が悲惨な状況下にあったのを救うためだったらしい。事業の成功で日本人だけではなく現地の人々にも生活を支える基盤が確保されたのだ。津田さんが松江春次の像を見上げながら「スペイン統治時代もドイツ統治時代も、植民地として支配されていたので、日本の統治下なってサイパンの人たちは初めて給料をもらって生活することができるようになりました」と言った。工員のために映画館、劇場、理髪店、酒場など街づくりも力を注いだ。
「松江さんは福島出身です。日本人は野口英世は知ってても松江春次は知らないでしょ。野口さんよりすごい人なんですよ。アメリカ人も松江春次のことは知ってますよ」と津田さん。野口英世よりすごいのか、アメリカ人が知っているのかは私には検証できないが、サイパンの戦火の中でも、敗戦後の混乱時にも昭和9年に建立されたシュガーキング松江春次の像は壊されることなく今も高くそびえている。余談だが松江春次と野口英世は面識があたそうだ。私の勉強不足ではあるがかつてそんな人物が存在し、今も遠い異国の地でその名が語られているとはまさにカルチャーショックであった。
サイパンには鉄道がないのだが、製糖業の盛んな折にサトウキビの輸送用に鉄道が敷かれ機関車が走っていた。公園の片隅に当時使われていた機関車が置かれている。最近手を入れたのか以前の写真のものに比べ風情がなくなっているのだが、車体には戦争による銃弾の跡が残っている。「サイパンの人は本当に松江さんを尊敬してるよ。日本のお札、野口英世じゃなくて松江さんにするべきでしょう~」と津田さんが笑いながら言った。そのうち新札のデザインに松江春次が登場する時が来るかもしれない。しかし二千円やら七千円といった非常に使い勝手の悪いお札での登場はごめんこうむりたい(笑)