其の⑰…戦場跡のメリークリスマス
シュガーキング松江春次の学習の後に向かったのは、日本統治時代に使用されていた刑務所跡地。刑務所を見学するというのも変な感じがするが、ここで注目すべきはそのコンクリーの建物に施された工夫と技である。いかに涼を取り込むか、雨にどう対処するかといったことが考慮されている。そして驚くべきはその完成度の高さだ。「日本から社員旅行で来たゼネコンの社長がここを見て社員に言うんですよ。お前らこんな美しい角度でコンクリが仕上げられるか?これはすごい技術だぞ。よく見ておけよ!って」ガイドの津田さんがコンクリートのラインを指差して言った。日本人の技術力驚くべしである。
刑務所見学を終えるとメインストリートから外れて舗装されていないわき道を走った。木々に囲まれた道端に車が止まる。『黒木大隊慰霊碑・野戦重砲第9連隊第二大隊の慰霊碑』という長い名前のポイントで、重砲つまり大砲部隊があったところだ。ボロボロの大砲と戦死者の名前が刻まれた石碑がある。津田さんによるとここではこんなことがあったらしい。若い女性のツアー客が石碑見て叫んだそうだ「あ!ひいおじいちゃんの名前がある!!」彼女の話では、家族は曽祖父は満州で戦死したと信じていたそうだが、実際はここで亡くなっていたのだ。またある時は、たまたま津田さんがサービスで老齢の会社の社長をここに連れてきたところ、彼もまた石碑の名前を見て叫んだそうだ。戦争時に自分の部下だった若者の名前がそこに刻まれていたのだ。その男性もまた部下は満州で戦死したものと信じていた。その社長はそれから長い間号泣していたそうだ。当時、軍の作戦として秘密裏に満州からサイパン島へ渡った兵士が多くいた。もちろん家族はそれを知らないので満州が最期の地だと思っているのだ。家族にとっても亡くなった方にとっても報われない話である。
津田さんが平たいお線香を取り出して火を付けながら言った。「これ日本の人にもらったんだけど、火がつきにくいんだよね~」ここにお参りに訪れていた関係者の人たちも皆高齢になって日本から来ることができなくなったそうだ。「だから私ができる間は、ここをお守りさせてもらおうと思ってね」津田さんが言った。燃え始めたお線香に文字が浮き出してきた。南無阿弥陀仏…。私も日本から持参していたお線香を燃やしていいかとたずねると、ぜひにと言ってくれた。母方の祖父が南の島で戦死している。このあたりの小さな島だが、津田さんによると日本からの船は一度サイパン島に上陸してから島々に行ったらしい。「おじいさんもきっとサイパンに来てますよ」と言った。ドライバーの男性が樹からもぎとった緑の柑橘を渡してくれた。スダチのようだが、とても甘くて美味しい。自生しているものらしい。写真でしか見たことのない祖父ももしかしたらこれを食べたかもしれないなと思った。碑の前には小さなクリスマスツリーが飾られている。きっと津田さんが持ってきたくれたのだろう。その心遣いに想いの深さを感じる。やっぱりこのガイドさんと回って良かったなと思う。戦場の跡地でそっとつぶやく「メリークリスマス。そしてみなさんやすらかに」