昨夜、二十数年来のミュージシャンの友だちと久しぶりに電話で会話をしました。浜岡原発の署名の件で電話をかけました。
今回のできごとのことなどを、ポツポツと話をしていましたが、何かの話で笑い声を立てたら、「なんか、その笑い声で元気でたわ」と、言われました。
私は変な笑い方をするようです。「キャハハ笑い」と、家人には言われておりますが。毎日聞かされている家族はげんなりしているかもしれませんが、まあ、「元気が出た」と言ってもらえれば、たまには役に立つのかもしれんな…などと思うのでした。
とても静かな人もいます。その静かな声を聞いていると、なんだかほっとする…そんな人。
とてもしっかりとした人もいます。その冷静で芯の通った声を聞いていると、なんだか安心する…そんな人。
とても楽しい人もいます。その明るい声を聞いていると、なんだかこっちまで楽しくなる…そんな人。
金子みすずさんの詩じゃないですが、一つひとつ、一人ひとりの個性で、時や場面によってその声や存在が誰かの役に立っているのかもしれません。
自分では気づいていなくても、誰もがどこかで何かの役にたっているのだと思います。
私は「静かとしっかり」とはほど遠いので、やはり笑いで生きていくとしましょう。でももうちょっと「オホホ系」に近づけようかな。
16日の午後8時に、山元かつこさんの「特別号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと」で、みんなでお祈りをします。
というメールを友人からいただきました。着信に気付いたのが8時15分くらいだったので、その祈りの輪に間に合ったかどうかは分りませんが、私も祈らせていただきました。
原子炉に向かって、これまで電気を使わせてくれたことへの感謝を述べ、静かに冷えてくださいとお願いするお祈りでした。また、悲しく辛い時を生きている方々を守ってくださいと、8時に心をひとつにして祈るというものでした。
ぷろじぇくとに参加している人数は、16日現在で4547人とのこと。たくさんの祈りきっと原子炉にも届いてくれたと信じています。
友人が離れて学生生活を送っているお子さんに宛てたメールを私にも参考になればと、送ってくれました。
起こってしまった現実から、自分を護る術をしっかりと伝えるメールに、子を想う母の心が詰まっていました。
参考になりそうな点を抜粋させていただきました。
ワカメ・ヒジキ・だし昆布などの多種類の海草をなるべく食べるようにする…放射線物質が甲状腺にたまるのを防いでくれる。(多めに買って友だちに分けてあげなさいと書いてあって、なんか感動しました。)
お水と、砂糖、塩、チョコレート、カセットコンロとボンベ、懐中電灯と電池、皮の手袋、ごはんは多めに炊いておく。
暖かいコートとズボン、着替え、常備薬やマスク、手当てする薬。
メールの内容を参考に、夕方買い物に出かけました。ちょうど鈴鹿産の海苔が十帖1,000円で売ってたので買いました。大人用に韓国海苔、子供用に味付け海苔。チョコレートとおせんべいを何袋か買いました。おせんべいとかあられはお米からできてるから、米の代用になるかななどと思い。あと、家人がやたらマヨネーズはカロリーも栄養もあるから、非常食として役立つと言うので、彼のためにマヨネーズも買いました。マヨネーズさえあれば、草も食べられるやろ!と言っていました。チョコとおせんべいはきっと毎日補充していくことになるでしょうね。おやつと化していく運命でしょう。
関東方面でも海藻類は手に入るのでしょうか。メカブやヒジキといった昔ながらの食材が、私たちを助けてくれるんですね。ありがたいことです。
久しぶりにスーパーに行ったのですが、陳列ケースの電気が消えていました。でも、どのコーナーも十分見やすいし、かえって落ち着いて買い物ができた気がします。もともと明るすぎたのではないかと思いました。
友人から浜岡原子力発電所運転停止の署名の連絡が届きました。
署名活動を行っている団体のHPを記載させていたさきます。
http://www.geocities.jp/plumfield995/
先日のチェーンメールのことなどもありますので、一人ひとりの判断でお願いします。
例えば私と友人が同じものを見ていても、本当に同じに見えているのか?私たちはそれさえも証明できない。世界というのは意外に不安定で不確実なものかもしれないと思うのです。
実は私たちは、もっとすごい力を持っている。でもそれに気づいていない、信じていない。私はそんな風に考えます。最先端の物理学の世界では、形の前に人間の想いがあるという説が唱えられています。「人間の想い」があって「現象が誕生する」という考えです。
日本の物理学の世界で受け入れられているのかは「?」ですが。
なぜこんな話をするのかというと、私たちの想いが今回の災害の被害を少しでも小さなものにしていけるのではないかと思うからです。
多くの人が何かをしたい、でも私たちに今何ができるのかという想いでいるのだと思います。災害の映像を観る事で、その痛みを分かち合うという形もあるのかもしれませんが、一人でも多くの命が助かったことを喜ぶ場面を思い描き、一刻でも早く厳しい状況が改善されていくことを思い描く。みんながそんなイメージを強く持つことで、現状を少しでもいい方向に動かしていける。
それが私たちの本当の力なのではないでしょうか。
三重県という場所にいるから、今、災害の中心にいないから、そんなことが言えるのだという指摘もあるかもしれません。でも、ここにいるから今こうして私が伝えたいと思うことを書くことができるのです。
原発から距離があるから、そんな夢みたいなこと言っていられるんだという声もあるかもしれません。
自分自身でも荒唐無稽?と思うイメージですが、原発を透明なドームで包み込みバリアーをはることを思い描いています。ふざけているのではなく、私は思い描いています。そして一人ひとりもその透明なバリアーで包まれている。
危険区域から避難して、科学的な対処をとることはとても大切です。けれど自分の想いの力で、それは「気」のようなものかも、「オーラ」と呼ばれるものかもしれません。それを強化することも一つの方法かも知れないと思うのです。
今だからこそ、想いと祈りの世界を信じていきたいのです。でも、こんな風に考えている人、もうすでにそうしている人は、きっとたくさんいるのだろうとも思っています。
私は傷つくことをとても恐れてきました。だから小説という形でオブラートに包んで、表現をしてきました。
そしてその小説さえも、批判されることが怖かった。結局だから書店に持ち込むことさえできなかったのです。
玻璃真人の世界はフィクションですが、ある部分はノンフィクション。私自身が感じたり、信じていたり、体験したりしていること。
私はいわゆる見えない世界というのを見ることができたり、聞こえないものを聞くことができたり、異星人や次元の違う世界とコンタクトをとる能力もなく、霊能者と呼ばれる人間でもありません。
でも、私は私たちの世界は、今私たちが通常認識しているだけのものではないと思うのです。というか感じているのです。
けれどそれを私は外の世界に伝えることはできなかったのです。それは傷つくことを恐れていたから。
「誰々のお母さんは変わってる」「あそこの奥さんはおかしいことを言っている」もしかしたら家族にも「あいつは変だ」と言われるかもしれないと。でも、私の中でも、もうタイムリミットがきました。
ちっぽけなプライドを護ることをやめて、思ったことをどんどん表現していくことに決めました。
今日のハリマビトノウタは、その想いをうたいました。
二月の末に家族や友人が交通事故に遭いました。大きな事故にもかかわらず、幸いにも誰一人命を落とすことがありませんでした。
その時、「もしかしたら、こんな風にもう話したりできなかったかもね」とみんなで語り合ったものです。
そして今回の地震では、たくさんの人がもう会うことが、話すことができなくなってしまいました。
「行ってきます」の言葉に、「さようなら」の言葉に、誰もそんなことを考えはしなかったでしょう。
そのことを想いながら、今日、ウタを書きました。
こんな時にこんなウタを?という声もあるかもしれません。でも、私たちは亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、その方々から何かを受け取っていかなければならないのだと思うのです。残された私たちは、学びながら生きていかなければならない。私は自分の今日の学びを「今が最後だと思ったら…」というハリマビトノウタにしました。
昨夜チェーンメールがありました。
「東海、関西の電力を関東に送るために、みんなで節電しましょう」という内容でした。
複数の友人から届き、これは重要なこと!?と夫にも連絡してメール発信しましたが、ヘルツの関係でそれは物質的に難しい?電力会社から公の告知がない?ということで、その信憑性は?ということに。
それがどういう意図のメールだったのかは分らないのですが。ネットの世界は両刃の剣だなと感じました。そしてこんな時こそ、自分自身で情報の中身を確認しなければならないのだと思いました。でも同時に、このメールの広がりはたくさんの人が「何とかしたい!役に立ちたい!」と心から願った結果でもあります。お互いにみんなつながっていることを確認しあうためのメールだったのかもしれません。
今私たちに必要なのは、自分で考えて、自分ができることを見つけて行動を起こしていくことなんだなと深く考えさせられた出来事でした。
ハリマビトノウタ「今日、種を蒔く」をアップしました。
お知らせです。玻璃真人の書籍の販売を停止させていただきます。
地震と玻璃真人の本は、直接関係はないのですが、玻璃真人の世界を広げることを怠っていたと思ったのです。
一人でも多くの人に、玻璃真人の世界を伝えたい。だから販売ではなく、お分けさせていただくという形に変えようと決めました。
現象には「人々の想い」というのが、少なからず影響を与えているというのが私の考えです。人の出す想念に地球が耐えられなくなったら…?そんなことを思って二年ほど前に書いたウタを今日はアップします。
今回の地震は決して対岸のことではなく、その要因も私を含む一人ひとりの想いや生き方にあるように思えるのです。もちろんこれは私の考え方。けれどそう思ったからには、自分のHPでその気持ちをどんどん表現していかなければと決心しました。
玻璃真人の本を読んでみたいと思われる方がみえましたら、メールをください。
とり急ぎのお知らせでした。
前回新着情報をアップしてから二週間が経ちました。
「ハリマビトノ恋文」などというものを恥ずかしげもなく発表してしまった翌日に、家人と友人が交通事故に巻き込まれるという出来事がありました。
その瞬間から、「当たり前の日々」はいともたやすく壊れていきました。そして特別な出来事が何もない日常において、玻璃真人の世界や魂、愛を語ることはすごく簡単なことだったのだと思いました。
きっとそういうのを「机上の空論」というのでしょう。
慣れない仕事やなんかで、気持ちがイッツパイイッパイの日々でしたが、たくさんの人に助けられて、何とか日常が戻りつつあります。
そして、今日はこのウタをアップしようと思った矢先に、大きな災害がありました。当たり前の日々を失われた多くの人々は、どんな思いでこの夜を過ごしていらっしゃるのでしょうか。
私なりの祈りと想いを込めたハリマビトノウタです。こんな魂になれたらいいなという。まだまだ道は遠いです…。