今を生きる魂への物語
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新美宇受女の父語り…その② あっぱれな?旅立ち。
2013年5月9日

人は逝く時を選んでいるのでしょうか?

 

父が亡くなったのは54日の午後136分でした。

その日私は京都の亀岡に。兄は大阪の岸和田に。孫にあたる私の息子は奈良の天理に。それぞれがスポーツ少年団の指導だったり、部活の合宿だったりの用事で出かけていました。実家にいた母と義姉もこの日の午後に病院に様子を見に行く予定はしていましたが、まだ家にいました。

ということで、あやうく誰にも看取られずに逝くところでしたが、息を引き取る十数分前に岐阜の従妹夫妻がお見舞いに来てくれて、老人施設で働いている従妹が異変に気づき、医師を呼んで…最後を看取ってくれました。

従妹夫婦は午前中に足を運んだのですが、その時は見舞いの時間外だったので、出直してたまたまその時間に立ち会うことになったのです。

誰も居ない時に逝ってしまうのと、身内が居てくれるのと、残された家族にとっては大きな違いで、二人には感謝しています。まるで父はその二人を待っていたかのようです。

というのも、その週は身内をはじめいろんな方々が会いに来てくださっていて、会う人には会ったよねという感じだったのです。面倒見の良い従妹が来てくれて、きっと安心して旅立つことができたのでしょうね。

 

3日、4日と私は京都で台湾から来日する方々に会いたかったので、泊りがけで出かけていました。息子は楽しみにしていた野球部の合宿。もう一日、二日早ければ、どちらも予定を中止もしくは半ばで切り上げなければならなかったのです。息子はすでに帰路のバスに居て、私は一連の行事を終え、奇しくも帰り道に立ち寄った亀岡の神社の入り口で訃報の連絡に気づいたのです。同行の友人たちがその場で父のために共にお祈りを捧げてくれました。立ち会えなかったのは残念ではありますが、行かせてくれたのだと思い、京都でつないだ縁を良きものにしていくことが私のなすべきことなのだと感じています。

 

そして5日のお通夜、6日の告別式と、連休の間に無事に見送ることができました。連休中にご参列いただいた方々にはご迷惑をおかけしたのですが、休みの間に全てが終わるように計らってくれた父に思わずあっ晴れ!と言ってしまいました。

 

すべてたまたま、偶然と言ってしまえばそれまでなのですが、人は旅立つ時を選べるんじゃないかなとも思うのです。まあ、選んだのかどうかは本人でないとわかりませんけどね。

 

写真は54日の東の空の雲。


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