今を生きる魂への物語
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360度のアーチ?
2011年6月17日 (金)

庭の敷石の上に白い花が一つ、二つ、三つ。どこから?と周囲を見渡せば、頭上に花を咲かせたシャガの樹が…。
毎年咲いているのに、樹が目線を越える高さに成長してからは、花が落ちるまでその存在を忘れてしまっています。
「あ、そうだ。そうだ。あったんだな~」
自分の周囲のこんな身近なことさえ、ちゃんと見ていないんだなと思いました。「上を向~いて♪」どころか下も、後ろも見ていないんですよね。自分の目先の目線のものを見て、全てを見ているような気になっている…。気をつけなくちゃと思いました。
物事は多面だということを常に頭においておくことは、大切なこと。人や物、事象への感じ方や対応も変わるし、自分自身に対する捉え方さえ変わる可能性があります。
写真家の中里和人さんが、写真のセミナーで、「鳥の目、猫の目で観て撮ってみたら」と、子どもたちにおっしゃっていましたが、俯瞰して観ると、見えていなかったものが見えてきたり、こうだと思い込んでいたものが、全く違うを側面を持っていたりすると思います。昔からよく「広い視野を持て」と言いますが、深い意味があったんですね。
鳥の目を持つために?、あと20cmほど背があったらな。竹馬にでも乗ってみますか。それともいっそ羽根でもはやしてみましょうか(笑)


2011-06-17 Fri 17:06:15 / Name : ひろゆき
そりゃあもう、羽根を生やすほうが竹馬よりずっといいと思いまふ。
つばめよ高い空から教えてよ……なんて歌詞もありましたし。

花が落ちるまでその存在を忘れてしまっていることってあると思います。
それでも、どこから?と上を見上げればいい方で、地面に咲いた花として見つめるだけの人もいらっしゃいます。

宇受女さん。
三陸海岸で、なぜ、こんなにも大勢のひとが亡くなってしまったのでしょうか。
午後2時46分。みんなたいてい起きていました。
空で轟音がすれば目を眇めて見上げ、役場のサイレンが鳴れば窓から首を出していたような時間です。
丑三つ時じゃなかったのです。
津波が町を襲う様子をテレビや動画で見ました。
歩いている人がいました。身体が痛くて歩けない人もいました。
でもこの災害の記憶を鮮明にしたまま、3月11日まで戻ったなら、死者ははるかに少なかったはずです。
それを考えると、いかなる教訓でも、色褪せてゆくのは避けられないのかと鳥肌が立つ思いです。

ひ孫なら死んでもいいんですか。

78年前の昭和三陸地震とそれによる津波で大勢のかたが亡くなり、また被災されました。
今回の津波でなくなったご高齢のかたの多くは、そのときの子や孫やひ孫だったはずです。
泥だらけの赤い頬を大人たちになでられ、この子だけは絶対に津波の犠牲にはすまいと、誓ってもらった人たちだったのでしょう。
どうしてあのときの悲しみが伝わらなかったのでしょうか。
37年前の明治三陸沖地震を教訓にできなかったというあの嘆きが、なぜストレートに伝わらなかったのでしょうか。

何十年先かはわかりせんが、かの地に津波が再来するのは確実です。
それは、これまでもこの先も同じです。三陸沖を浚渫すれば、80年前の米びつも日清戦争の褒章も浮かんでくるのです。

ひ孫なら死んでもいいんですか。
被災者のかたには酷過ぎる口吻ですが、相手は自然の摂理です。厳然としています。移り変わる興味の対象ではないのです。

マスコミや大勢の心ある人びとは、「前を向いて歩こう」と励ましています。声援応援支援を繰り返しています。
しかしこの地は、いまひとり、別な人物をも必要としているのではありませんか。
被災者の気持ちもわからない馬鹿者が、テレビカメラのない被災地の夜空で叫ばなければいけないんです。
この地は生活を営む場所としてふさわしくなかったのだと。
そんなことは、みんな知っているんでしょうか。
30年後にも、みんな知っているんでしょうか。
60年後にも、みんな知っているんでしょうか。
天災は、みんなが忘れるまで待っているのです。

(場所をお借りした上に長々とすみませんでした。失礼しました)

2006年NHK「失敗は伝わらない」畑村洋太郎氏
http://www.youtube.com/watch?v=qkLqVr_Qk_w&feature=player_embedded
2011-06-18 Sat 12:44:07 / Name : うずめ
ひろゆきさま
文章の中にいろいろな感情が織り込まれていますが、一番前に出ているのが「憤り」なのかなと思いました。
今、多くの日本人が抱えている感情なのかもしれませんね。何故あの多くの命を救うことができなかったのだろうかという。
この「憤り」や「悔しさ」は「愛」の変化形なのかなと思うのです。だから優しさがあるほど、想いが深いほどその感情を抱き込んでしまうのかもしれません。でも、その感情は自分自身の心を傷つけてしまう危険性もはらんでいるのではないでしょうか。
多くの人があの日以来抱えている様々な感情を、どのような形で昇華させ、エネルギーの変換を行っていくかを模索しながら、日々を生きているのかもしれませんね。
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