
4月1日に第三部のクライマックス部分を一気に書き上げました。第三部全体はまたまた長文なので、本という形になるのはまだ先になりそうです。でも、この部分は早く共有したいと思ったので抜粋しました。よろしければ読んでみてください。
玻璃真人新記 真言(まこと)の… 第三部<響命(きょうめい)>〜抜粋〜
『あ〜ぁ。何てことだ。このタイミングで橋が崩れるなんて…。でも渡っている途中で無くて助かったよ』
大きくため息をつくと真言は辺りを見回した。
カラスの姿は既に無かった。
『え?おい。どこに行ったんだよ。道案内をしてくれていたんじゃなかったのか?』
何か重要なメッセージを携えているに違いないと思っていたカラスが姿を消してしまったので、真言は拍子抜けした。
『何のためにオレはここまで来たんだ?またユリカさんやオサたちに迷惑を掛けることになったし…』
そう思った時に、真言の頭の中に声が響いた。
『答えを知りたくは無いのか?』
『誰?』
真言は再び周囲を見回した。
「答えって何の?」
真言は思わず声に出してたずねた。
メッセージを送ってきた相手を知ろうと真言は目を閉じた。大きく枝を広げた一本の木が浮かんだ。
『何の木だろう?コナラ?いや、ブナ。白ブナの木だ』
五月のフィールド・アドベンチャー部の合宿以来、木の種類を覚えることに努めた真言には、それが白ブナの木であることが分かった。
『今日お前がずっと抱いている問いの答えを知りたいか?』
もう一度声が響いた。
『知りたい』
真言がそう答えると、先ほどのカラスが再び真言の前に姿を現した。百合香との約束を破るのは忍びなかったが、真言はカラスを追って歩き出した。
反射的に「知りたい」と答えて歩き出した真言だったが、自分がいったいどんな疑問を抱き続けていたのか正直なところ分から無かった。
谷から五百メートルほど森の中に入った場所で、カラスが真言の頭上を旋回して空の向こうに消えていった。
『ありがとう。ここだね』
真言はカラスに礼を述べてからイメージの木を探した。目的の木はすぐに見つかった。しかしその木は想像していたものと異なっていたので。真言は少し驚いた。木の根元まで行って幹を見上げるとまた言葉が響いた。
『想像よりも小さな木だと思って驚いているようだな』
自分の思いを見透かされた真言は素直にうなずいた。
『人間というのは面白い。樹齢何百年年という木は神が宿る神木だと言い大切に祀る。そして人にメッセージを伝えることができる木ともなると、何人も手を繋がねば囲みきれ無い巨木であると思い込んでいる。私の仲間にも樹齢四百年を超えるものもいる。しかし私はたかだか樹齢数十年でお前が二人いれば十分に幹を囲める。この山の中でいくらでも見つけることができる大きさだ。人間は自分勝手な思い込みに支配されている。我々に違いなど無いのだ。年老いた巨木であろうとヒヨロヒョロとした若木であろうと、同じ智慧を持ち同じ情報を共有している。我々の間には分離というものが無いからだ。以前お前が出会った銀杏の木が、伐採される自分の運命を受け入れたのは、これから育つ若木と自分が同じものであることを知っていたからだ。我々には命の分離も無い』
真言は返す言葉を持たなかった。自分が白ブナの言う思い込みに囚われていたからだ。
『お前はここに来る必要さえなかった。私がこれからお前に伝えることは、家の庭木から聞くこともできたのだ。お前が耳を傾けようとしなかっただけで、どの植物も伝える術を持っている。大楠だから、歴史的意味がある大銀杏だから繋がったわけではない。お前の意識が繋がれると信じたからだ』
白ブナの言葉が途切れ、真言は大きなため息をついた。
『では、お前の聞きたいことは何だ』
白ブナが真言にたずねた。
『聞きたいこと…』
真言はしばらく考えてから言った。
『今日オレが抱いていた問いとは、植物は人類が滅びることを望んでいるのかということです。タナシロ教授の計画に協力して…』
『あの男はこの山に何度か訪れて我々と繋がることを試みた。会話の対象に選んだのはお前の思い描いたような樹齢数百年のカツラの老木だった。カツラの木に訴えたあの男の思いは、この山の植物全体が共有している。もちろん私もあの男が伝えてきたメッセージを理解している。あの男は我々に、地球を救うために力を貸して欲しいと訴えてきた。人類がこのままの在り方を続ける限り、地球の滅亡は避けられ無いと。人間の愚かな暴走を止めることはもう不可能だから、地球が破壊し尽くされる前に人類を滅ぼしたいと』
真言が白ブナに聞いた。
『あなたは…植物たちはそれにどう答えたのですか?』
『世界中の仲間たちが人間の存在に疑問を抱き始めている。このまま人類を放置しておいて良いのかと植物たちは思っている。しかし、我々は人類を滅ぼそうと思った事はない。我々の中にそういう意識は存在していないのだ。地球のこれまでの歴史の中で、人類は何度も自然を壊滅させてきた。しかし私たちは人類を滅ぼそうとはしなかった。そして焦土に再び芽を出し、長い年月を経て今の自然が作り上げられた』
『ではタナシロ教授の計画に協力をする意思はないということですか?』
真言が白ブナの真意を確かめた。
『今回のことは人間が私たちに頼み込んできたのだ。人類という存在に自らピリオドを打ちたいと。全てのものは進化を続けている。お前たちの中にもインディゴチルドレンやクリスタルチルドレンと呼ばれる新しい人類が生まれているだろう。同じように植物の中にもこの時代に合わせて、新しい意識を持って生まれてきているものがいる。創造という意識しか持ち得なかった植物の中に、破壊と創造という意識を持ち合わせて生まれてきたものがいるとしたらどうだろうか。新しい創造のためにあの男の提案を受け入れても良いと考えるかもしれない』
「破壊と創造…」
真言がそう呟くと白ブナが再び話し始めた。
『破壊は悪ではない。万物は破壊と創造を繰り返し流転している。お前の細胞もそれを繰り返すことでその肉体を維持しているのだ。植物もまた種という殻を破り成長していく。だから破壊が悪、創造が善というその捉え方もまた誤りなのだ。我々には人間の様な善悪という判断の意識も無い。お前はあの男が悪で、自分は善だと思っている。あの男はただ自分の役目を果たそうとしているだけだ。地球を破壊から救う。それはお前たちの言う善ではないのか?』
次に白ブナが発した言葉に真言は大きな衝撃を受けた。
『既にあの男の計画は実行に移された』
『え!まさか!まだその時刻には…』
真言は慌ててスマホを取り出すと時刻を確認した。計画予定時刻の六時にはまだ二十分ほど有った。
『あの男の身柄はお前の仲間が今しがた確保した。だが、既に実験は行われていた』
真言は目の前が真っ暗になった。恐怖と絶望が真言を包み込んだ。
『ユリカたちは、オサたちみんなは大丈夫なのか?オレはここで息ができなくなって死ぬのか?繭良村の家族は?八重垣の家族は?やがてはミヅキが暮らす京都にもこの恐ろしい現象が広がってしまうのか?みんな死んでしまうのか?オレは大切な人たちを守れなかった…。トドロキさんの家に生まれるはずだった子どもももう…』
色々な人々の顔が真言の脳裏を駆け巡った。心臓が大きく波打ち、あまりの恐怖感から真言は雪の上に吐いた。
『大切なもの。お前たち人間はいつもそれだ。大切なものとそうでないものに分ける。お前は自分が世界を守るために働いていると思っている。だが、その世界とは何だ?今お前の頭の中に浮かんだ人間たち。それがお前の世界だ。それが人間の持っている分離というものだ。恋人。友人。家族。コミュニティ。国。人類。それがお前の捉えている世界だ。その上人間は同じ種の中でさえいがみあう。地図の上に引かれた一本の線で。物事の考え方の違いで。隣人でさえ。いや、家族さえも…』
「もう聞きたくない!やめてくれ!今更何を言われても手遅れなんだ!」
真言は何度も頭を振って叫んだ。
『逃げるのか?お前は私と話していると思っているようだが、お前が今話している相手はお前自身だ』
「え?」
『自分の深い意識と繋がるために、お前が私という存在を選んだに過ぎない。繋がることをここで終えたいのならばそうすればいい。お前の自由意志だ。私は黙して、ただの白ブナの木に戻ろう』
真言は大きく深呼吸をして、ざわつく心を落ち着けることを試みた。
『オレ自身との対話?』
『表面のお前との対話ではない。お前自身が認識できないほど深い世界でしか答えは得られない。お前の求める答えを知っているのはお前自身だ。他の誰もお前に答えを与えられない。ただ自分を掘り下げる。そこにお前の答えがある』
真言はもう一度深く息をすると、白ブナの根元に座り目を閉じた。
『この問いの最後の答えまで辿り着きたい』
『人類と我々植物の大きな違いは分離と結合だ。人類は自分と他者は分離している別のものだと考えている。だが、我々は自分と他者は繋がっており同じものだと感じている。分離から生まれるのは孤独と恐怖だ。それから逃れるために人間は誰かと繋がろうとする。しかし繋がろうとする原因が孤独と恐怖である限り、別離や消失という別の恐怖が生まれる。もともと一つのものであり、繋がっていると認識していれば孤独も恐怖も感じないのだ。人類は自らを他のものから分離させ続けてきた。古き時代には人類は山と海と繋がっていた。土に触れ、植物に触れ、お互いの命を共鳴させて生きてきた。植物の声を聞き、動物と共存していた。ところがこの二百年足らずの短い時間の中で、土を覆い、山を切り拓き、川も海も汚し続けてきた。もうお前たちに我々の声は聞こえない。薬に苦しめられている植物や大地の生き物たちの叫び声が聞こえない。だからお前たちはこれほどまでに自然を破壊できるのだ』
真言は何一つ反論できないまま白ブナの話を聞いていた。
『あの男が手を下すまでもなく、近い将来、植物は人類が必要とする量の酸素を作り出すことができなくなるだろう。時が少し早まるだけのことだ。その前にミツバチたちがお前たちの食を助けることができなくなるだろう。飢える苦しみを体験せずに、酸素が足りなくなって死ぬのも考え方によっては悪くない』
『それは…』
何か言いたかったが、真言は言葉にできなかった。
『ただ人類という種が滅びるに過ぎないのだ。この二百年足らずでお前たちは幾多の種を絶滅させてきた。人類もその一つに入る。それだけのことだ』
真言の頭に以前書物で読んだ絶滅した動物たちの姿が浮かんできた。胸が締め付けられて真言はまた大きく息をした。
『私の枝を見よ。私の葉を見よ。私の幹を。私の根を。その根の先を見よ。お前の心の目で見よ』
真言は白ブナの全てを見つめようと試みた。
幹の中を水が流れる音。夏の青々と茂る葉は気孔を開き、呼吸、光合成を行っている。樹液を求めて来る虫たち。虫たちを求めて来る鳥たち。枝に止まる小さな鳥が仲間を呼び寄せる。枝は時には鳥たちの住処になる。小動物は幹をよじ登り、木の穴には木の実が蓄えられている。根の深さは一メートルにも満たないが周囲にどこまでも広がっている。
『根の中にも深く意識を広げて見よ』
白ブナの言葉に従い真言は地中の根に意識を向けた。
太い根が細い根に分かれ、そこからヒゲのような根が広がっている。その根の周りにはミミズや小さな虫たち。更に意識を向けると微生物の姿が見えた。無数の微生物が根を取り囲んでいる。根にも土にもたくさんの命が輝いていると真言は感じた。そして微生物よりももっと小さな何か、真言にはそれが何なのか分からなかったが、キラキラと輝くもので全てが彩られていた。
『これは命?そしてこれはエネルギーなんだ!』
真言の意識がその輝くものと溶け込んだ時に、真言は自分自身が、白ブナが、森がそしてその外に広がる何もかもが輝いているのを感じた。
『この輝く何かでオレたち生きとし生きるものは全て繋がっているんだ。オレはこの根っこの微生物で、この白ブナの木で…この大地で。そうだ。この地球なんだ』
感動という次元を超えていた。これを恍惚と呼ぶのかもしれないと真言は思った。
『お前が望むなら。その全てと繋がった喜びのままに意識を閉じ、この世を去ればよい。現実に戻って恐怖と苦しみを味わうことなく、生まれる前の世界に還ることができる。それも悪くはない。あるいはヤエガキ マコトという人間に戻り、現実を再び味わうこともできる。お前の自由意志だ』
白ブナが言った。
真言の意識はしばらくしてから答えを出した。
『ヤエガキ マコトの現実に戻ります。戻った世界が恐怖に満ちたものであっても、たぶんオレはその世界を経験するためにここに来たと思うから』
『ならば戻るが良い』
真言は白ブナの根元で目を開いた。日は既に沈み、辺りは薄暗くなっていた。体の実感が戻り真言は身震いをした。真言が立ち上がろうとした瞬間白ブナの木が再び語り始めた。
『お前は恐怖の中に立ち戻り、これから何を為そうとしている?』
真言はまた目を閉じた。再び目を開いた真言は白ブナを見上げて言った。
『分かりません。何ができるのか。でも、何かをしたい…。たとえ残された時間が少なくても…』
『お前が気づいていないもう一つの真理がある。それをお前に伝えよう。お前がその心理を受け取れるかどうかはお前次第だ』
真言は黙ってうなずいた。
『お前は今しがた真の繋がりというものを体感した。命は全て繋がっており、互いに響き合いながら生きている。その響き合いが美しければ、世界は美しく輝くことができる。今はその響きが掻き乱されている。そのことにお前はもう気づいたはずだ』
真言はもう一度大きくうなずいた。
『お前が現実に向かっていくためのヒントをやろう。お前が繋がっているこの世界はお前の世界なのだ。お前の中に有るのだ。この現実もこれからの未来も全てはお前の中にある。そして現実という世界も一つではない。幾つもの現実が同時に存在している。今ここにいるヤエガキ マコトが見ている世界はお前が作り上げている世界だ。お前の世界を変えたければ、お前自身が変わることだ。あまりにも単純すぎて大抵の人間はそれを見過ごしている。ただそのことに気づき始めている人間たちもいる。そんな人間たちが繋がってそれぞれが自分の世界を変えることを助け合う。それができれば人類が大きく舵を動かせる可能性もある。ただ、残された時間は本当に短い。その中でお前たちに何ができるかだ』
『この世界はオレの作り上げている世界…。しかし、既に教授の計画が実施された今となっては、全て手遅れだ…』
真言はうつむきながら首を振った。
『あの男の機械が有ろうが無かろうが我々は人類を滅ぼすことができた。あの男は自分が選んだカツラの老木の周辺にその波動を送った。だが、この森の樹々はまだあの男の計画を実行に移すかどうか結論を出していなかった。我々はお前が私の元を訪れることを知っていた。お前の深い意識がそれを望んでいたからだ。あの男の思いは聞いた。ではもう一人の人間、ヤエガキ マコトという人間の思いにも耳を傾けようではないかということになった。お前と話をしてから答えを出すことに決めたのだ。破壊という意識を持ち合わせていないカツラの老木は人類を滅亡に追いやる意思はなかった。ただ破壊と創造の両面を持ち合わせた若い樹々の中には、あの男の計画を使って人類を滅ぼすという選択も有ると考えた。私もその若い木の一本だ。だからお前と話した。そして我々は人類に少し猶予を与えることにしたのだ』
「え!ということは…。まだ酸素の減少は始まっていないということですか?」
真言は驚いてたずねた。
『今はまだだ。ただ、何度も言っているように時間がない。人類は自滅の方向に走り続けている。我々が行動に移さなくとも、近い将来お前の恐れている日は訪れるかもしれない』
真言は静かにうなずいた。そしてつぶやいた。
「ありがとう。ありがとう」
知らぬ間に頬が涙で濡れていた。