其の⑨…曇っているのは心か?景色か?テニアン島を望む
ひと休みして集合場所のホテルの玄関へ。ツアーメンバーが5人に減ったので、観光バスから大型乗用車に変更。午後一番の観光スポットは『テニアン島』の展望。ここがこのツアーの最南端の場所で、岸から対岸に浮かぶ島を見るために立ち寄る。午前中に見たバードアイランドのような風光明媚なところではなく、写真にもあるようにのっぺりとした島がただ横たわっているだけである。
しかしサイパン島から約8㎞、飛行機で12分ほどのその島はサイパン島同様に日本と係わりの深い場所なのだ。テニアン島の歴史を簡単にひも解いてみると、1668年にスペイン人がキリスト教の布教に訪れるまでは、先住民のチャモロ人が自給自足の生活を営んでいた。
1695年に住民はグアムへ強制移住させられ無人島に。その後ドイツ統治を経て1920年、日本統治下となり日本人を初めとする移民が入り農産物が作られるようになり、1994年のテニアンの戦いまでここも人々の暮らしの場となっていた。
そしてテニアン島の最大の負の遺跡は、広島と長崎に原爆を落としたB29がここから飛び立ったということ。戦後再び人が入り、現在の人口は3,500人ほど。美しいビーチ、ホテルや飲食の施設もある。この日ここで撮った風景は何ともグレイッシュ。冬の日本海か?と思う鉛色。お日様が陰っていたのだろうが、島の哀しみの歴史が映し出されているようにも感じる。テニアン島だって原爆搭載機が離陸した島なんて代名詞で呼ばれたくないだろうに。つくづく人間とは罪深いものだと思う。サイパン島の自然は人間の業が織りなす悲しい物語をどんな思いで見てきたのだろう。人間に感情があるように自然にも感情があるに違いないと私は信じている。大地にごめんなさい。空にごめんなさい。海にごめんなさい。
今回の旅行記はヘビー&ダークな内容。南の島のキラキラした部分をお伝えできればいいのだが、キラキラの向こう側から重い歴史がチラチラと顔をのぞかせる。だからそれも伝えなければならないのだと思う。というより、キラキラな旅だけだったらこの旅行記を書こうとは思わなかった。でもヘビー級は一旦ここで終わり。ここからしばらくは面白おかしく暮れていくサイパン一日目をお伝えする予定。よろしければこれからもお付き合いくださいな。