新美宇受女の父語りと題してアップしてきましたブログも7回目。いよいよ最終回です。
今日、お天気もいいので冬のジャケットなどを洗濯機で洗いました。その中の一つにユニクロの白いライトダウンジャケットがありました。二年前に購入したもので、クルクルっと丸めて携帯袋に入れられるタイプです。それはズボンを購入したいという父をユニクロに乗せて行った時に買ってもらったものです。(洗濯機で回しちゃうところが雑な私ですね~)
自分で運転している時からずっと一人でユニクロ行っていたらしく、ちょっとびっくりしました。80歳を過ぎたじいさんがね~って感じで。その時もパーキンソンで動かしにくくなった体で頑張って試着して、サイズ直しをしてもらい二本購入しました。
何か欲しいものはないかと言われて、それではお言葉に甘えてと選んだのがくだんのジャケットです。青空の下に干しながら、そんなことをふと思い出しました。
もう一枚、もう三十年以上も前のことになりますが、進学のためだったか、受験の時だったか上京する折に、二人で立ち寄った名古屋のデパートで、セーターを買ってもらったのを覚えています。なぜかそのセータのデザインは私の記憶の中にずっと鮮明に残っており、同時に父と洋服を買うというこっ恥ずかしかった感覚も蘇ってくるのです。
想い出は、物や音楽、季節や空気感いろんなものに付随して一瞬私たちを過去に連れ戻してくれます。その瞬間私たちはここに居ながら、その時のその場所にも同時に存在しているような気がします。
父のお棺の中に好きだったものを入れようということになり、晩年は飲めなくなっていた日本酒のパックやよく食べていた田舎あられなどを入れました。読書が好きで、入院中も私が毎週数冊の本を図書館から借りては届けるという数か月でした。ずっと愛読していた週刊朝日を入れようかとも思ったのですが、いや待て、ここは玻璃真人の本だろうと真言…の上下巻を納めました。父の作品である私の作品を持って行ってもらいたいと思ったからです。なんで週刊朝日にしてくれやんだんや~と、あちらで叫んでいるかもしれませんが、おかげさまでこれにて玻璃真人の本、なんと次元を超えて行きました。おじいちゃん!そちらで広報よろしくね!
庭の小手まりが咲き乱れる頃に旅立った父のことを語ってきましたが、7日連続でアップできたことを嬉しく思っています。ブログ不精な私に、頑張ればちゃんとできるよと後押ししてくれたのかもしれません。いなくなってなお、見守ってくれている。親ってそんなものかもしれません。ありがたいな~。 合掌。