小学校6年生の息子が昨日聞いてきました。「10月28日で地球が終わるってゆーとる子がおったでぇ」。来年の12月で終わっていると言われているマヤ暦が、実は今年の10月28日だ説…という話があるらしいのを私もつい二三日前に耳にしたので、息子の言葉に「ほ~。来たかいな」と思いました。
で、「終わると思たら終わり。あんたがどう思うかってこと」と答えると、息子はニタッと笑って言いました。「そー言うと思とったわ。いつもそうやでな」終末思想や地震予言などの噂を聞いて帰った日に交わされる会話では、私の答えが毎回こんな感じなので、彼もそう来ると思ってたよ~ってところでしょうか。
「まだやりたいことあるしな。死にたないなあ」というので、「そんなら大丈夫やぞ」と言ってその話は終わりました。
今仕事のはざかい期なので、調べ物などで結構ネットをのぞいてます。時間が許されると、「その先は?」とか「他の説は」?とかついついネットサーファーになっている自分。するとある。有る。ある。気になる記事に情報、予言、チャネリング…。「これはそうなのかも…」「ああ、そうなのか」「ふ~む、そういうこともありか」「でも、あっちではこう言っていたし」
「この人すごいこと知ってるんだ~」と、読みまくっているうちに、頭の中がこんがらがって訳分からなくなって、情報の食べすぎで苦しくなってしまう…。
で、ちょっと待てよと立ち止まり、私はどこにいるのかなと思い…PCを閉じました。ネットは調べ物をするには本当に便利なものですが、探しにいくと迷子になりそう。PCの画面に載っていることは、どれも本当の自分の探している答えではないのだと思いました。
深い問いは、本当に必要な探し物は、自分の中で見つけなければならないし、その答えは自分の中にしかないのだと思いました。そして自分の外で出会った情報に対しては、それが自分の世界のものだと思えば取り入れ、しっくりこないものだと思ったら取り入れなくていいのではと。その情報は私のものではなく、その情報はそれがしっくりくる誰かのためのものなのでしょう。そして大切なのが、その情報の内容に判断を下さないこと。ただ私のものではないと思うだけでいいのだと。
だから冒頭の10月28日の件も「それは私のための情報ではない」というだけで、そのことについての判断は下してはいけないなと思っています。
で、もし噂がドンピシャだったらどうすんのかって?「いつ露と消えても後悔しない生き方をしていればいいのでは?」なんて、強がりを言ってオシマイ。
写真は縁側で日向ぼっこをしているうちの柿たちです。