節分の昨日は心の中の鬼のことをつらつらと綴りました。では、福はどこからくるのでしょうか?
「福は内」外を歩いている福さんに家に来ていただくという意味なのでしょうか。これも心の中のこととも言えるのかもしれません。心に棲む大きいのやら小さいのやら、若いのやら長老やらの鬼を追い出す…と、書いたのですが、追い出すのではなく、福に換えていくのかもしれないと思いました。
鬼を追い出しても、生きている限りいろんなことがあり、鬼が入ってくるきっかけは日常のあらゆる場面に転がっています。その出来事に出会ったときに、自分の心に鬼を呼ぶのか?福を呼ぶのかということなのかもしれません。
ひとつの事象を鬼の心で受け取るのか、福の心で受け取るのか。事象そのものには良いも悪いも、鬼印も福印もラベルは付けられていなくて、ラベルを貼り付けるのは私たちの心。少し見る方向を変えると、ラベルが全く変わってきたりします。
…とは言うものの、事象に対する捕らえ方の習慣はなかなか変えにくいものですよね。でも自分の捕らえ方や反応が鬼なのか福なのか?立ち止まって少し考える習慣をつけるだけでも違いはあるはずです。心の中に棲む鬼の比率を減らして、福が増えていくといいですね…。
写真は宇受女事務所の福助さん。
立春の朝に詠んだハリマビトのウタをアップしました。