寒くて、寒くてあと少し…と、ぎりぎりまで布団にねばってしまった今朝、起きたら霜がしっかり降りていました。光はどんどん明るくなるのに、寒さは厳しくなるんですね~。毎冬フシギに思うのですが…。
昨日も冷えた朝で、『玻璃真人の里』美里町から見る青山の山々が雪化粧をして大変美しかったです。三重県内で棲家を探し歩いていた頃、理想は山が見える山の中に住むことだったのですが、いいな~と思った山に向かい、その山に入ると眺めていた山が見えなくなってしまうことに気づきました。眺めていたい山の中に住むことはできないんですよね。遠くからは、他人からはよく見えている現象も、その渦中にいると分かりにくいのと似ているなと思った冬の朝でした。
さて、お正月休みに雪に埋もれた新潟県の弥彦神社にお参りしたことをアップさせていただきました。今回はその第二弾です。
弥彦神社に参ったその日の午後、新潟県を横断して長野県の野沢まで移動しました。雪雪雪!幹線道路の両脇は人の背の高さほどの雪が積み重ねられて、まるでガードレール状態。そこここの公道や個人の家で雪かきが行われておりました。野沢温泉界隈ももちろん雪まるけ。熱~い雪見温泉でホ~ッと…。
そして三日目に善光寺へ。そこでお堂の下の真っ暗な中を歩く体験をしました。ぞろぞろと並んで歩いていくだけなのですが、普段なかなか体験することのない正に漆黒の闇。見えないということがこんなに不安なことなのかとびっくりしました。自分が安全な場所に居ることも分かっているのに。
そんな時に一緒に列に並んで歩く人がいてくれることの何と心強かったことか。見ず知らずのみんなで『右に曲がってま~す』とか声を掛け合ったり、伝言ゲームみたいな感じでした。私も思わず前のおじ様のジャケットをつかんでしまったり…。
明るい外の光にたどりついた時におじ様にご挨拶もいたしました。そして外に出れば再びみんな見知らぬ人々という関係に。そばに誰かがいてくれることの安心感。闇がくれた不思議な体験でした。
写真は鳩が舞う善光寺です。
本が手元に無い方が、これを読んでいただいているかもしれないので、ネット小説のアドレスをご紹介しておきます。
http://syosetu.com/
(はりまびと)で検索して下さい。
2012-01-19 Thu 20:54:11 / Name : ひろゆき、もしくは中川京人
闇がくれた不思議な体験──。
きのうの中日新聞の文化欄に、鷲田清一さんという哲学者の書いた「ケアを開く」というタイトルの記事が出ていました。
冒頭、知人の方の証言をもとに、「まちが突然、開いた」という現象について述べておられました。
それによると、強い地震により、階層や会社や立場など、それまで人びとの行動を細かく制約していた有形無形の壁が解除され、市井に満ちたフリーになった人びとの間で、それまで見ることのなかったコンタクトが生じていた。まるで社会的な差異を溶かされたような状態だった。そして開いたまちはふたたび閉じていったのだと。
記事はその事実を援用して、規制を踏み出した社会的ケアの必要性を説く流れになるんですが、わたしがおもしろいと思ったのは、前半に書かれたこの現象です。
まるでひとつの巨大な有機体のように、外からの巨大な力あでまち全体が変容を見せる。今回は地震という不幸がきっかけとなったわけですが、人間という生物が潜在的に持つ柔軟性・可塑性を垣間見たような気がしました。ひとの世は、ある意味で、液体なんでしょうか? それならとてもうれしいです。
善光寺は、二十代のころに会社の旅行で連れられて行ったことがあります。まさに書かれていることに近いことが起こっていました。外に出れば再びみんな見知らぬ人びとというのも同じでした。映像という強烈な体験を共有した観客どうしが、三々五々映画館の出口から散っていくときのような、ちいさな寂しさがありました。
ただわたしは、あのときせっかく闇がくれた不思議な体験を、平坦な体験としか感じえなかったので、そのような感受性のなさは残念に思います。
まわりにたくさんのひとがいてくれたから、逆に見えなくなっていたのかもしれませんね。ひとに囲まれているひとなんて、自分のことではないという感覚でしたから。
うずめさま、ありがとうございました。
2012-01-20 Fri 11:23:20 / Name : うずめ
ひろゆきさま。
鷲田清一さんは哲学者ですよね。つい最近そのお名前をどこかで…。と思ったら、この1月9日に三重県立図書館で、対談フォーラムをされた方ですね。私は聴きに行けませんでしたが、パートナーや知人が行っておりました。
「まちが開く」のお話は興味深いですね。隠しているもの覆っているもの、いわゆる壁が無いと不安である半面、安心もあるのでしょうか…。
今日の夜「Allways三丁目の夕焼け」の放送がありますが、あの頃のまちはもっとみんながつながっていたのでしょうか。もちろん昔がすべていいわけではないですが、まちの新しいつながり、共有を作り上げていくその先に楽しい未来がありそうですね!